ファンキーモンキーベイビーズ解散のお知らせの中で
やはりDJケミカルのいないFUNKY MONKEY BABYSはFUNKY MONKEY BABYSではないという結論に達しました。
という一文がありまして、なるほどなぁ、と思いました。
ニウス秩父宮で、慶ちゃんが「解散したほうが良いんじゃないかという人もいました」と言って、会場が「えええ?!誰だよそいつ!」みたいなムードになった瞬間がありました。
そのあとツイッターで
「でもニウスのことを想ってそう言った人もいたんだろうね」
というツイートを見て、捻くれた私は、「だとしてもひどすぎるだろ!!」と思っていたのですが、そのツイートに込められた気持ちが今やっと分かりました。
完全に推測ですけど、「ニウスに縛られることはないんだよ」という気持ちで解散を薦めた人もきっといたのでしょう。
メンバーに捨てられたグループという重みを背負い続けるぐらいなら、と。
もともと山下くんのために作られたグループ、っていうのは最初のほうのジャケットとか見てると一目瞭然ですよねぇ。まあ、入口を山下くんに、という意図もあったのかもですが。
「山下智久や錦戸亮のいないNEWSはNEWSではない」
それは私はずっとネガティブな意味でしかとらえられなかったのですが、1人1人があってこそのNEWS、というとらえ方もあったんですね。
まあ、シゲが、「もう一生歌うことも踊ることもないのかな、と思った」と泣きながら話していたので、あんまりポジティブな空気ばかりではなかったのでしょうけど。
それでも、やっぱり、私はニウスのそばには少なからずニウスを愛してくれるスタッフさんがいたって思いたい。そういう目線での、「解散という手もあるのでは」という発言もあったんじゃないかなぁ、と思いました。
解散という方法を選ばなかったニウスに対しては、ほんとに、ありがとう!という気持ちでいっぱいです。
でもだからといって、解散が、それほどまでに悪かと言われれば、時と場合、状況によっては、それこそ愛あるからこその解散という選択をすることもあるのだなと感じました。
おんなじことはポルノグラフィティにも言えるのかな、と。
なんにせよ、私の好きな人たちを取り巻く環境が少しでも良いものであることが、私の希望で夢なのです。