ロマンはどこだ?

そのとき思ったことをなかったことにしないために

『閃光スクランブル』加藤シゲアキ

閃光スクランブル

閃光スクランブル

シゲちゃん2作目。まだサインとか動画は見てないので、早いうちにどこかに観に行きたいな〜と思っております。
今回はいろんなところで「エンターテイメント」と銘打っていましたが、まさしく、そういう小説でした。ピングレが深く深く内面をえぐりながら書かれたお話だとして、こっちはもうちょっとライト……というのは、ちょっと表現がおかしいかもしれませんが、分かりやすく書かれたお話だなと思います。完成度という面でみれば、読みやすさからいっても前回よりあがっているのでは…?前回は、単語→その単語を次の文章で説明、という箇所が何か所かあってそれでちょいちょい心折れてたのですよね。今回はそういうことがあんまりなかった印象。ピングレはその荒削りさ、内面をそのまま吐露しているその吐き出し方が作品の特長、良さ、魅力だったのでそれはそれで良いのですが、そういう文章の書き方、読みやすさを比較したら閃光スクランブルのほうがすんなり読めますね!
ピングレのときってニウスがほぼ活動休止状態だったころに書かれて、震災もあったころで、相当不安定な精神状態だったと思うんですよね。で、それが如実に小説にも表れていたのかな、と。主人公たちが、シゲやシゲの周りの人を投影されていたり、まさにシゲにしか書けないお話、でした。
今回の場合は、同じストーリーだったらほかの人にも思いつけるような形だったと思うんですね。でもそれが、シゲの書き方、経験、知識で肉付けされてシゲの言い回しであのような形になった。それが閃光スクランブル
あと、今回は、チャンカパーナのころに書かれたんでしたっけ?前回よりは、落ち着いた状況で楽しんで書いているのだろうな〜と感じました。

1作目は、読みながら私はだいぶしげの内面を心配してしまったのですが、今回はそういうことはなく、最初から最後まで誰かのことを思い浮かべながら読むことはありませんでした。
「作家」としてふり幅が広がってるなぁと思いました。ピングレを読み終わったとき、2作目はどうするんだろう?って思ってたのですが、もう自分の内面をえぐって絞り出すのではなく、書きたいストーリーにプラスアルファしていく書き方も出来るのだなあ、と。

続きからはネタバレですよ。


あらすじで「逃避行」って言われていたからこの人たちいったいいつ逃げるのだろう、と思っていたらページの3/4あたりでやっと逃げ始めましたね!たしかそこらへん!
あらすじというのはすごく難しいんだな、と関係ないことを思いました。笑
読んでみればたしかに、このお話を端的に説明しようとすれば、逃避行っていうところをクローズアップするのが一番なんですよね。二人はほぼ出会ってすぐに逃避行しているわけで、主人公が2人と言っているからには、あらすじを語るに逃避行というキーワードは外せないでしょうし。
でも逃避行している部分がすごく短くてもそれをあまり感じさせない、二人が心開いていくところが不自然ではないのは、それまでキチンと関係性をページを割いて描いていたからだと思うので、この構成はすごいな、と思いました。
だってさ、「逃避行」って言われたらそれこそページ半分ぐらいで逃避行すると思いません?私だけかな?笑
そういう裏切られた!感も面白かった。
「この人たちいつ出会うの?!?!あ、そこで出会うの?!」みたいな。

アクションシーンが全然イメージが浮かばなかったのは、シゲの描写のせいではなく私が映画というものをまったく見ないからだと思います。エンターテイメントってこうやって相互で影響しあっているのだなぁと実感。
それこそ、中村一義さんの歌とか、話の中に出てくる映画、とかね。
面白いな。シゲの考えてること理解するには映画ってすごくキーポイントだとは思っているんですけどね……なかなか……。

終わり方も、希望に満ちててすごく良かった!
ピングレの「ええええどっちいいいい」という終わり方も好きなのですが、前回が悲しい感じだったので今回がああやってさっぱりと未来に期待を持たせる風に終わったこと、すごく救われた感じでした。
ピングレでは人間の弱さ脆さを描いていたけれど、今回は再生・強さ・強かさがテーマだったのかな?エンターテイメントってこういうことかー。