ロマンはどこだ?

そのとき思ったことをなかったことにしないために

『フレンド-今夜此処での一と殷盛り-』 @東京グローブ座 9/28 夜


感想あげないまま2週間経っちゃったので、ほんとはストーリーとかちゃんと書いておこうと思ったんだけど諦めます!

https://twitter.com/deniu_fabc/status/516215804094717952:twitter
https://twitter.com/deniu_fabc/status/516216167367602176:twitter
https://twitter.com/deniu_fabc/status/516216428056154112:twitter

中原中也の名前は知ってたけど時代とか作品がぼんやり、交友関係とかは全然知らなかったので、舞台終わったあとすぐウィキペディア開いた。笑
そういうことをもっと知っていたらもっともっと楽しめたんだろうな〜と思う。もったいなかったな。
でもそういう楽しみ方って「アイドルがやる舞台」だと少し難しいのかな。アイドルがやる舞台の正解って「中の人」「ビタオレ」「灰色のカナリア」あたりかなって思ってます。まあ個人的に好きなのはね、セミナーとかストフルとか今回の舞台なんですけど!
フレンドは戦前〜戦時中の話なんですけど、一生懸命に生きたり書いたり怒ったり笑ったりしているのがすごく衝撃的で、私が今こうやってさまざまな文化を当たり前に享受していることが当たり前ではなかったことが当然あったことを改めて実感した。100年ぐらい前まで、そういう文化を必死でつかみ取った人たちがいたんだなぁ。

気になったところは、エピソードとメッセージが詰め込みすぎ?というのと、その演出だとなにやってるか見えないよ……というとこぐらいですかね。
でもメッセージ性が強いのは中也が残していったもののが重さがあるからかも知れない。

私は、ストフルは荒削りで中毒性があってそこが好きだったんだけど、フレンドはきちんと完成された世界で完結している印象。パタンと蓋をとじたような。
ベテランのかたに囲まれての舞台は一味違ってまた面白い。
まっすー、良かったです。ニコニコしているだけじゃなくって頑固で言い出したら聞かないところとか行動力あるところとかそっくり。笑


ザルツブルクの小枝
http://yokkaichi-shinko.com/yonbun/essei/page3.html

秋子という貧しい女の子がいて、文化なんて何の役にも立たない、って言うシーンがあるんだけど、そこで中也がこの話をする。
文化を知ることで、雪の美しさや朝の美しさを知り、世界がとても愛しく見えるようになる。世界に恋をするようになる、と。
秋子は安原(まっすー)が貸してくれたベートーベンのレコードが蓄音機を持ってなかったから聞けなくて、書いてある横文字から想像してレコードを耳にあてて聞いていた、っていうんだけど、それもある意味ザルツブルクの小枝で世界に恋をしていることになる。と、思う笑
ものが十分になくても、なにかを楽しもうとか知ろうという気持ちだけで幸せになったりする。
このレコードのエピソードは最後にも出てきて、東京大空襲で焼け野原になったとき、レコードも折れちゃって秋子がとても悲しむんだけど、安原が「こうすれば聞こえるよ」と言って二人でレコードに耳をあてる。
共有するなにか、まあそれ自体は文化とか文学でなくてもいいかもだけど、それはたしかに明日への希望になる、という前向きなエンドだった。そこも良かったなぁ。
そしてこの、「世界に恋する」っていうのは個人的にすごく気に入ったワード。
エンターテイメント全般、もちろんジャニーズにも、通じるところがあるなと思って。
コンサート行くと、自分が今抱え込んでる嫌なこととコンサートなんてほんとに全然関係ないのに、それでも「頑張ろう!」って思うんだけど、それってやっぱり「世界に恋してる」「世界の美しさに気づく」ということがあるからだと思う。
中也が出したエピソードは「日常に美しさを見出す」ことだからちょっと違っちゃうけど、ジャニーズの場合は非日常がパワーをくれる感じ。
日常があるから非日常があるし、非日常を見たら世界に恋する。
あーーーーがんばろーーーー生きようーーーーーってなるね。
私そういう気持ちでいろんなものを好きになってるんだなぁと改めて実感した、舞台でした。