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ロマンはどこだ?

そのとき思ったことをなかったことにしないために

原作の大ファンではない人が見た映画『ピンクとグレー』について

ニウス

お正月の嵐の番組で大野くん、長野くん、シゲ、伊野尾ちゃんでかまくらの中で料理を食べるというウルトラハッピーな企画があったが、その番組を一緒に観ていた妹と母親がシゲの小説に興味を持ってくれた。

嵐って、テレビって、すごい。大感謝……圧倒的感謝……と唱えながら私は妹と母親のそれぞれの部屋にそれぞれ「ピンクとグレー(ハードカバー」と「ピンクとグレー(文庫)」「閃光スクランブル(ハードカバー)」を置いたのであった。文庫版閃光スクランブルを置かなかったのは単純にそのとき私がまだ読んでいたから。

で、妹は原作を読み終え、原作を読んでいない友達と一緒に観に行きました。

 

妹からの感想第一声は「中島裕翔が爽やかすぎて後半のグレーのところでも全然嫌な奴に見えなかった。」とのことでした。

とにかくゆうとくんがかっこよくて爽やかで、嫌な奴のところでもどこか爽やかさが抜け切れてなくて、リアリティがなかったとさ。普通にゆうとくんの顔が好きなのかもな?でもこの世で1番好きな顔は東山さん、次点は慶ちゃんだからその説は薄い。薄いよね?(そんなに似てないよね?)

嫌な奴、か。

私にはきちんと嫌な奴に見えたんですけど、「ジャニーズ」という捉え方をするとそう見えるのだろうか。一般の人の方がよっぽどジャニーズをジャニーズとしてカテゴライズするということは前々からなんとなく思っていて。

「ジャニーズがそんなことやるの?w」ってよく言うけど、ジャニヲタ的にはジャニーズがいろんなことしてることを知ってるから、「え、やるけど……」って戸惑う。一般の人の「アイドル像」「ジャニーズ像」ってヲタクからしてみればずれてるよな。まあ、そのずれてる先を知ってることがまさにヲタクがヲタクたるゆえんだから、ギャップどうこうは当然の事象だけども。

でも、ゆうとくんの見た目の高校生だったら、しょっぱなモデルとして成功するだろうというツッコミは分かるな。最終的には「あの見た目だったら役者として成功しなくてもバーテンとかで食べて行けそう」って言ってましたよ。

 

そのほかの感想については、ほぼほぼ私が書いたことと同意見だった。

 

whereisromance.hatenablog.com

 「原作と作家の大ファンからしてみれば」って書いたけど、別にファンでもない原作読んだ人が見てもやっぱりあの構成や関係性は「そこ変える?!」って驚くようだ。

誰が読んだってピングレはりばちゃんとごっちの友情の話で、その二人がメインの登場人物であり、軸であり、最後は成り代わって終わる。危うくて表裏一体な二人。ごっちは苦しんで葛藤の末に死ぬし、りばちゃんはごっちにとっての大切な人だ。

映画は、ごっちの人間味は全部りばちゃんに言ってしまった。最後のほうでほんの少しごっちの気持ちは語られるけれど、すべてはりばちゃん一人の物語だ。

私はピングレに思い入れがあるしシゲの思い入れも知ってるから客観的に見ることは一生出来ないけれど、外部から見てもやっぱりその改変は大きいものとして見えるようだ。

 

じゃあ原作を読んでない人がどうなのかというと、妹の友達は

「映画の構成として、最初から映画を撮ってるんじゃなくって、ごっちの遺書を見つけてから映画を撮るっていう流れのほうが感情移入しやすい」

みたいなことを言ったんだって。

「原作はそうだよ」って言ったらすごく驚いていたそうな。

それを考えると、小説「ピンクとグレー」って映画的構成で組み立てられてることを改めて認識する。当時、そうだって、言ってましたよね?言ってないっけ?

そういう構成のものを改めて映画にするとなると、まったく別のものにしないと許されないものなのだろうか。

 

よくよく考えたら(ほかの人の感想を読んだというのもあるが)遺書の重要性ちょっと薄れてたよね。

ごっちが「りばちゃんが自分でその遺書(ごっちの伝記を書く?)を選んだんだ」ってりばちゃんを諭すけど、じゃあほかの5つの遺書に何が書いてあったかが明らかにされてないからそれを選んだことの重さが軽くなっていたような。全部「映画を作る」だったかもしれないじゃん。いや屁理屈ですけど。でもそれがぼけてることが映画っぽさなのだろうか。

私は小説にしろ映画にしろドラマにしろ分かりやすさを求める性分だから、余白というものを楽しめていないもかも知れない。

 

舞台の場所は、なんで、埼玉になったんだろうな。私は埼玉県民じゃないからあまり強くは言えないんですけど、埼玉の人が出てくるのは池袋じゃないのか。埼玉の高校生は渋谷に行くことそんなにある?しかもロクシタンカフェ?

そして2人は大学にも行かないし。

舞台が横浜から埼玉に変わったこと、そして2人が大学進学しなかったこと。この設定変更は妹も気にしていた。

 この変更があった時点で、「ああこれは、小説とはまったく別の物語なんだな」って気付いても良かったのかもね。シゲという要素を削ぎ落とすために必要な変更だったのだろうし。

いつかはシゲが書いたテーマ通りの映画でも、ドラマでも、見たいですね。