一度は観てみたかったSHOCKを、友達にチケット取ってもらって観てきました!
ストーリーを全然知らなくって驚いたツイートがこちら
友達がチケット取ってくれてSHOCKを初めて見たんだけど、○○○○○○ということがとても衝撃的だった(全然知らなかった)。終わったあと「○○○○○」って言ったらキンキ担に「ああ、○○○○」「自担毎日○○○○○○○」って言われた https://t.co/m6PN4XBpeu
— で∵に∵う (@deniu_fabc) February 21, 2016
華やかなんだけど熱いメッセージもあって、友達が「ジャニヲタ必修科目」と言っていたのもうなずける……。ショー、ミュージカルとしてもそうなんだけど、テーマ自体もジャニヲタに響きそう。
SHOCKに関してはストーリーすら知らないからジャニヲタの間でどういう位置づけなのかもいまいちわかってないけれど、これ見ながら自担とかその周りに思いを馳せたりはしないものなのかな?SHOCK初めて見た人の感想をあまり観たことがないもので……。
SHOCKはブロードウェイの話だけど、エンターテイメントというつながりで、私は日本の芸能界やジャニーズ事務所の世界を重ねて観てしまった。
そして以下のツイートにつながるわけです。
SHOCK見てたら映画版ピングレ思い出したよ。私の見たかった映画版ピングレのストーリーここにあったわって思った。これだよ〜〜〜!!!
— で∵に∵う (@deniu_fabc) February 21, 2016
映画版ピンクとグレーの感想は以下の通り。
で、ここにも記載したけれど、小説版は2人の愛とか恋とかの類ではない、絶妙なバランスの友情を描いた物語なんだけど、映画版は天才と凡人の徹底的に分かり合えない狭間を見せつける話になっている。
映画化にあたってストーリーを改変するのは事実よくあることで、それはそれで心えぐられるストーリーだった。だけど、「私が愛した小説ピンクとグレー」の世界ではなかった。
そこにきて、このShockという物語が、「コウイチの姿を追いかけるヤラ」というピングレ小説に近い関係性、かつ、天才と凡人(ヤラくんは凡人ではなくきちんと努力する才能を持っているけれどひとまず凡人と呼びます)の関係性を描いていることに観劇中に気づき。こ、これだ~!!!と目からうろこでした。
映画版ピングレのごっちは殿上人で、姉と一緒に死ぬという概念に脇目も振らず飛び込むある種の狂人のように見えるけれど、小説版ピングレのごっちは人としての弱さ、繊細さを持ち合わせてて、りばちゃんと同じ線上に生きてた。
コウイチも、みなにその豊かな才能を高く評価され認められているけれど、少し独りよがりなところもあり(そして最後に「俺はみなに走り続ける背中を見せなければと思っていたけれど、違った、みんながいるから俺は走り続けられたんだ!」と気づく)、人間的な面をたくさん持っている。はっきりと、ヤラやリカと同じ世界で生きているのが分かる。ヤラの才能も認めていて、「俺にはできなかったけど、お前はショーを続けられた」と伝える。
ここらへんが、小説版ごっちに重なるな~と思った。コウイチの目にはちゃんとヤラが映ってる。小説版もそう。映画版ごっちは、姉しか見ていない。
私の好きなピングレは「ごっちとりばちゃんの物語」なので、コウイチからヤラへの視線ぐらいに、ごっちにはりばちゃんを見てほしかった。りばちゃんにもヤラくんぐらいとまでは言わないけれど、ある程度は頑張ってほしかったしな!笑
そういうわけで、SHOCKのコウイチとそのライバルのような関係性のピングレ映像化がみたいな~と思った話でした。
SHOCKのストーリーですごく好きなのは、才能が一歩抜きんでている側の人間にも弱さと気づきがあるところ。そこが、とても人間らしくて、いいストーリーだなと思う。
人と人とのかかわり合いが生む物語というのが、私はやっぱり好きだな。