ロマンはどこだ?

そのとき思ったことをなかったことにしないために

4人になった人たちの話

TOKIOが4人になった。

そのことを知ったのは、新大阪駅でたこ焼きを待っている席だった。

ニウスの5月6日ニウス大阪日曜夜公演のあと、友達とわーわーはしゃぎながら新大阪まで戻ってきた私は、新大阪駅で腰を落ち着けて初めてスマートフォン機内モードを解除した。

何の気なしに開いたメールボックスにはトキオFCからのメールが入っていて心拍数があがった。すぐにメールのリンク先に飛んだけど、私はその直前に「ネバラン展の映像と慶ちゃん誕生日の動画は同じ日なのでは?」と思って確認するためにニウスFCにログインしていたため、なんか変なページが表示された(※ちなみに、衣裳全然違った)。

改めてトキオFCにログインして開いてみて、ふるえる手であのお知らせを読んだ。

さあって血の気がひいた。ほんとに体温下がるんだな、と思った。どんな結論でも受け入れると思っていたけれど、覚悟ができていなかったみたいだ。

たこ焼き買ってきてくれた友達と一緒に読んで、「やだ、やだ」とか言ってたんだけど、まあそのあと普通にたこ焼き食べてニウスの話して東京まで帰ってきた。

日曜は、「なにもコンサート後の楽しいときに知りたくなかった……」と思っていたけれど、後々考えてみたら誰のバイアスを通った言葉でもなく、ネットニュースでもなく、FC発信をまず知れたことはとても運が良かった。だれかの言葉で知るではなくてまったく情報もなくまっすぐ彼らの言葉を読めてよかった。わたしの悲しみをまずわたしだけのものにできた。

 

翌朝のビビットでは、太一くんがやっぱり謝罪の言葉を口にしていた。

5日にメンバー4人で話し合ったけれどやっぱり結論がでなくて、こんな事態にどうしていいかわからなくて、なにが正解か答えが出せなくて結局ジャニーさんに判断をゆだねだって教えてくれた。

でも山口くんからも事務所に再度強い辞意表明があって、ジャニーさん・リーダー・山口くんと話し合いの場があって最終的に辞表を受理した、と。これが6日。

太一くんがビビットで教えてくれるまでは4人だけで結論を出したのかと思っていた。ほんの少し「決められなかったのか……」という残念な気持ちもあるにはあるけれど、トキオらしいな、とも思った。家族みたいに仲良しなトキオ。楽屋で5人で集まって小っちゃいテーブルで小っちゃくなって中居くんに「きもちわる」って言われてたトキオ。私の大好きな。

そういう人間的な感情と同時に、社会的な影響力の大きさも鑑みて、やっぱり結論が出せなかったんだろうな。

松岡くんは山口くんが辞表を出してきたときに「それはずるい」と言った、と悔しそうに教えてくれたけれど。これは勝手な個人的な想像だけど、山口くんがメンバーに辞表を出したのは止めてほしいというより、それが最後に残った彼の筋の通し方のように私には見えた。リーダーと始めたバンドだから、辞めるならまずメンバーに話を通してから、と思ったんじゃないかなあと。

でも松岡君が「ずるい」っていうならそれはもうずるいんだ。きっと。

 

私はこんなに早く結論が出ると思ってなかった。「無期限謹慎」と発表されていたし、辞表も保留になっていたし。こんな、2週間弱で結論を出してしまう、出さなくてはいけないのかと。

でもこの報道を、騒動をいち早く沈下させることが被害者家族への償いの一つでもあったのかな。長引けば長引くほどおかしな報道が増えていくからね。だから、どうしても結論を早く出す必要があった。感情の整理がつかないなか務めて冷静であろうとするのはすごく大変なことだと思う。真矢さんがおっしゃっていた「30年一緒にいたひとたちが1週間で結論を出すのは苦しいと思う」というコメント、すごく納得した。大変な1週間だったと思う。

 

太一くんのコメントのなかで「解散はしない」というような言及があってほっとした。4人が話し合うなかでその結論を出してくれて、うれしかった。解散することもしないことも大変だと思う。人数が減ったことを笑い話にもできない。常にイメージが付きまとう。それでもトキオを残してくれて、ありがとう。

ビビットでの異常な報道も収まりをみせて、太一くんは吹っ切れたように私の眼には映った。考えに考えて出した結論を生きていかなくてはいけないことを受け入れたように。

 

5月9日、久しぶりに更新されたタヒチが4人の笑顔で、泣いてしまった。ずっと笑っていてほしいし、笑っていてほしかった。