社会人8年目になった。社会人8年目ということはシゲを好きになって丸7年ということになる。ニウス1回目の24時間テレビは7年前なんだなぁ。好きになってすぐに24時間テレビがあって、同じ番組にまた今年出るということがとても感慨深い。
7年前のシゲは、セミナーの印象を色濃く残した黒髪で、山下くんと亮ちゃんに「太った?」って言われるほど顔がパンパンでw、なにかを一生懸命模索している青年だった。心配だった。生放送の番組もなかったからドル誌のビジュアルは発売日まで分からなくて、毎回ドキドキしてたね。
2009年のセミナーが私が初めてシゲをシゲと認識したあとに見た生のシゲで、すごく好きだなぁと思って、その日にY&Jに入会することを決意した。
その年に24時間テレビがあって、シゲはスティールパンの練習に苦しんでいて、しまいには「トイレに閉じ込められたい」と言い出してこっちをハラハラさせた。でも最終的にはきちんと演奏をこなしてとても安心したよ。
まぁ髪型は好みじゃなかったけどぉ。
ちなみに、Y&Jで初めて観に行ったのは山下くんのコンサートで、私がニウスの曲の中で1番好きなスノエクをコンサートで見たのもそこだった。
2010年の5月に、朝起きて突然「ツイッターをやろう」と思った。そして登録した。こんなに面白い人たちがたくさんいるんだなぁ~と驚いた。当時は、ツイッターやってる人はだいたい面白かった。
同時再生しての鑑賞会とかもありましたね。懐かしすぎ。
2010年の7月に、Kラジでニウスのコンサートが発表されてTLが大歓喜だった。今読み返しただけで泣きそうになった。
NEWS1年8ヶ月ぶりのコンサート決定 - Togetterまとめ
夏にテゴマスコンに行って、私が行った日にはこやしげが登場した。シゲはハイセンスすぎる民族衣装みたいな洋服を着ていた。あれなんだったんだ。
9月に、初めてニウスコンというものを見た。アリーナ席から、気球が上に昇って行くのを見たとき、ほんとにほんとに感動した。カツンコンともエイトコンとも違う、ニウスコンという世界があった。まっすーが東京Dでコンサートすることがほんとに嬉しいんだろうなと分かるぐらいにはしゃいでた。
シゲは当時から釣ってうちわを釣ってた。
山下くんとシゲとまっすーがレストランに行った写真(パンフ用の写真)がジャニショで販売されて、友達が買ってきてくれた。
シゲは、東京Dのときもあんまり好きじゃない髪型してて、ていうか眉毛とかなかったし、ファンがもう超ざわついてたしペンラでアンケートとったりするぐらいだった。うちわの笑顔もひきつっていたし。
でもたしかに、ときおりハッとさせられるぐらいイケメンだった。そののち発売されたDVDでのダンシンのシゲが、山下くんに見えるって局地的に話題になった。
私はシゲと山下くんはわりと似ているほうだと思っている。2011年7月のNYLONにシゲが載った時の写真が、1番似ている。だけど誰も賛同してくれないっていうか「このシゲ山下くんに見えない?!」という話に同意してくれないので私だけが思っている可能性はあるが。
2010年秋にファイティンマンのジャケ写が発表されたとき、「シゲが髪を切っているのでは?!?!」とニウスクラスタがざわついた。JEの小さい画像を拡大しては興奮してた。
シゲはほんとうに髪を切っていて、ファイティンマン披露のMステはその当時は稀にみるイケビジュだった。ちなみにそのときのMステはポルノとニウスが共演したので極局地的に盛り上がった。
2011年にビタオレと華和家があった。ビタオレは面白い舞台だったし、華和家もドラマとして最後まで楽しんで見られた。
華和家ではシゲは益子正三郎という役名で500人斬りをしたモテ男という設定だった。500人と経験するのに何年かかるのか?!という話しで盛り上がった。3人でやればわりと早く終わるんじゃないかという意見もあった。真相は不明。
正三郎という名前なのに一人っ子っぽい感じだったので、私は「正一郎(∵)」「正二郎(∵)」がいるのではないかと妄想していた。
正ちゃんはだんだんだんだん太って行きしまいには腹をあからさまにへこませていた。それを思うとビジュを最初から最後まで維持した失恋ショコラティエは頑張ったね……と思う。
2011年には、ドル誌の撮影も6人そろったものなんかめったになくって、4+2というのが定例だった。たまーーーにメンバー同士の質問コーナーとか設けてくれる神雑誌もあった。シゲが亮ちゃんに「犬と僕どっちが可愛いですか?」と聞き、亮ちゃんが「シゲはしゃべれるからかわいいよ」と答えた謎の質疑応答もあった。
シゲが「やましたんぼーのカラオケはだかんぼー処女をしげんぼーにください」とか言い出した時もあった。これいつだ。
そして2011年秋に、脱退が発表される。
「私は文句を言いたいから文句をいう。脱退なんて絶対いやだ。」と言った人がいた。言って良いんだ、と目から鱗だった。論理的、理論的、冷静になって今回の決断の意味を考えるよりも、まず、自分の気持ちが大切だと気付かされた。だから、私も、ほんとにいや、てつぶやいた……と思うけど呟いてないかもしれない。
まだそれほど仲のいい友達もいなくて、電話とかメールとかで語りあえることが出来なかったから、当時の支えはツイッターだった(まあ翌々日ぐらいに飲みに行ったけど)。
たぶんに救われた。いろんな意見を都合のいいとこだけ切り取って自分の中に入れて、そういうことをやって、気持ちが楽になった。
脱退以降もやったらだいぶ長くなりそうなのでひとまずここで。
ツイッターを始めた当初と今とで、Kラジのときに実況のために集まってくる人たちはずいぶんと変わったなぁと思う。ファンをやめたり、ツイッターをやめたり、私がフォローをやめたりとゆるやかに動いている。でもどの回も、誰もいないなんてことなくって、誰かと一緒にずっと聞いていた。すごいことだよなぁ。
私自身はほんとになにも変わらないまま生きているけれど、いろんなことが実際はめまぐるしく変わっている。