ロマンはどこだ?

そのとき思ったことをなかったことにしないために

4/10 NEWS エコパMC

おねむな小山と元気なテゴシゲ

 小山:みんな元気だね〜!でも俺も元気なの。昨日11時間寝たから

手越:そうだよね、昨日ニュースみんなでご飯行ったのに来なかったもんな!

小山:東京よりよく寝れた。昨日1時ごろ1回目が覚めたのあなたたち(手越とシゲ)すごい騒ぎながらホテル戻ってきたでしょ!

ホテルの廊下で騒がしかったらしい

手越:そうそう、俺とシゲねwシゲが打ち上げでちょー元気だったの!この人俺にいたずらしてきた。昨日、熱い話してたんだけど、俺結構疲れてて、ガッて机にうつ伏せで寝ちゃったのね。あ、個室だよ。そしたらシゲが俺に乗っかってきて、コップの中の氷を俺のパンツの中に入れてきたの!そしたら、次、またやってきて。普通氷を人の服に入れる時、コップから氷だけ取って入れるでしょ?!

慶ちゃんは、まあ、そうだね、みたいな反応

手越:シゲ、コップに入った水ごとコップひっくり返しておれのパンツの中にいれたの!もうパンツびっしょびしょよ?!

小山:目は覚めたんでしょ?

手越:覚めるよ!

小山:手越はいたずらされなれてないもんな~。シゲちゃん熱い話してるとき寝られると悲しいもんね

シゲ、うなずく。そうか、悲しいのか。

 

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8年目の春に振り返る ①脱退まで

社会人8年目になった。社会人8年目ということはシゲを好きになって丸7年ということになる。ニウス1回目の24時間テレビは7年前なんだなぁ。好きになってすぐに24時間テレビがあって、同じ番組にまた今年出るということがとても感慨深い。

 

7年前のシゲは、セミナーの印象を色濃く残した黒髪で、山下くんと亮ちゃんに「太った?」って言われるほど顔がパンパンでw、なにかを一生懸命模索している青年だった。心配だった。生放送の番組もなかったからドル誌のビジュアルは発売日まで分からなくて、毎回ドキドキしてたね。

 

2009年のセミナーが私が初めてシゲをシゲと認識したあとに見た生のシゲで、すごく好きだなぁと思って、その日にY&Jに入会することを決意した。

その年に24時間テレビがあって、シゲはスティールパンの練習に苦しんでいて、しまいには「トイレに閉じ込められたい」と言い出してこっちをハラハラさせた。でも最終的にはきちんと演奏をこなしてとても安心したよ。

まぁ髪型は好みじゃなかったけどぉ。

ちなみに、Y&Jで初めて観に行ったのは山下くんのコンサートで、私がニウスの曲の中で1番好きなスノエクをコンサートで見たのもそこだった。

 

2010年の5月に、朝起きて突然「ツイッターをやろう」と思った。そして登録した。こんなに面白い人たちがたくさんいるんだなぁ~と驚いた。当時は、ツイッターやってる人はだいたい面白かった。

同時再生しての鑑賞会とかもありましたね。懐かしすぎ。

2010年の7月に、Kラジでニウスのコンサートが発表されてTLが大歓喜だった。今読み返しただけで泣きそうになった。

NEWS1年8ヶ月ぶりのコンサート決定 - Togetterまとめ

夏にテゴマスコンに行って、私が行った日にはこやしげが登場した。シゲはハイセンスすぎる民族衣装みたいな洋服を着ていた。あれなんだったんだ。

9月に、初めてニウスコンというものを見た。アリーナ席から、気球が上に昇って行くのを見たとき、ほんとにほんとに感動した。カツンコンともエイトコンとも違う、ニウスコンという世界があった。まっすーが東京Dでコンサートすることがほんとに嬉しいんだろうなと分かるぐらいにはしゃいでた。

シゲは当時から釣ってうちわを釣ってた。

山下くんとシゲとまっすーがレストランに行った写真(パンフ用の写真)がジャニショで販売されて、友達が買ってきてくれた。

シゲは、東京Dのときもあんまり好きじゃない髪型してて、ていうか眉毛とかなかったし、ファンがもう超ざわついてたしペンラでアンケートとったりするぐらいだった。うちわの笑顔もひきつっていたし。

でもたしかに、ときおりハッとさせられるぐらいイケメンだった。そののち発売されたDVDでのダンシンのシゲが、山下くんに見えるって局地的に話題になった。

私はシゲと山下くんはわりと似ているほうだと思っている。2011年7月のNYLONにシゲが載った時の写真が、1番似ている。だけど誰も賛同してくれないっていうか「このシゲ山下くんに見えない?!」という話に同意してくれないので私だけが思っている可能性はあるが。

2010年秋にファイティンマンのジャケ写が発表されたとき、「シゲが髪を切っているのでは?!?!」とニウスクラスタがざわついた。JEの小さい画像を拡大しては興奮してた。

シゲはほんとうに髪を切っていて、ファイティンマン披露のMステはその当時は稀にみるイケビジュだった。ちなみにそのときのMステはポルノとニウスが共演したので極局地的に盛り上がった。

2011年にビタオレと華和家があった。ビタオレは面白い舞台だったし、華和家もドラマとして最後まで楽しんで見られた。

華和家ではシゲは益子正三郎という役名で500人斬りをしたモテ男という設定だった。500人と経験するのに何年かかるのか?!という話しで盛り上がった。3人でやればわりと早く終わるんじゃないかという意見もあった。真相は不明。

正三郎という名前なのに一人っ子っぽい感じだったので、私は「正一郎(∵)」「正二郎(∵)」がいるのではないかと妄想していた。

正ちゃんはだんだんだんだん太って行きしまいには腹をあからさまにへこませていた。それを思うとビジュを最初から最後まで維持した失恋ショコラティエは頑張ったね……と思う。

 

2011年には、ドル誌の撮影も6人そろったものなんかめったになくって、4+2というのが定例だった。たまーーーにメンバー同士の質問コーナーとか設けてくれる神雑誌もあった。シゲが亮ちゃんに「犬と僕どっちが可愛いですか?」と聞き、亮ちゃんが「シゲはしゃべれるからかわいいよ」と答えた謎の質疑応答もあった。

シゲが「やましたんぼーのカラオケはだかんぼー処女をしげんぼーにください」とか言い出した時もあった。これいつだ。

 

そして2011年秋に、脱退が発表される。

「私は文句を言いたいから文句をいう。脱退なんて絶対いやだ。」と言った人がいた。言って良いんだ、と目から鱗だった。論理的、理論的、冷静になって今回の決断の意味を考えるよりも、まず、自分の気持ちが大切だと気付かされた。だから、私も、ほんとにいや、てつぶやいた……と思うけど呟いてないかもしれない。

まだそれほど仲のいい友達もいなくて、電話とかメールとかで語りあえることが出来なかったから、当時の支えはツイッターだった(まあ翌々日ぐらいに飲みに行ったけど)。

たぶんに救われた。いろんな意見を都合のいいとこだけ切り取って自分の中に入れて、そういうことをやって、気持ちが楽になった。

 

脱退以降もやったらだいぶ長くなりそうなのでひとまずここで。

 

ツイッターを始めた当初と今とで、Kラジのときに実況のために集まってくる人たちはずいぶんと変わったなぁと思う。ファンをやめたり、ツイッターをやめたり、私がフォローをやめたりとゆるやかに動いている。でもどの回も、誰もいないなんてことなくって、誰かと一緒にずっと聞いていた。すごいことだよなぁ。

私自身はほんとになにも変わらないまま生きているけれど、いろんなことが実際はめまぐるしく変わっている。

『望郷』 湊かなえ

 

望郷 (文春文庫)

望郷 (文春文庫)

 

 因島出身の作者が語る島の世界は、私にはなじみのない場所だったけれどきっとどこかにあるんだろうなと思わせるような現実味を帯びていた。

短編集で、1つ1つが起承転結があって中身がとても重い。

その分、続けて読んでいると引きずられるし、同じ話ではないんだけどなんか似たような話に感じてしまう面もあり。連載とかで雑誌で読んでたら、短い文字の中でぎゅっと詰め込まれた人間のいろんな面を読めるゾッとする話だったんだろうけど。そのゾッという感触がずっと続いていくと慣れてしまうというか。

面白かったんだけどね、読み方が違ったらまたより面白かったんだろうな~。

『Endless SHOCK』を初観劇して映画版ピングレを想った話

一度は観てみたかったSHOCKを、友達にチケット取ってもらって観てきました!

 

www.tohostage.com

 

ストーリーを全然知らなくって驚いたツイートがこちら

 

華やかなんだけど熱いメッセージもあって、友達が「ジャニヲタ必修科目」と言っていたのもうなずける……。ショー、ミュージカルとしてもそうなんだけど、テーマ自体もジャニヲタに響きそう。

SHOCKに関してはストーリーすら知らないからジャニヲタの間でどういう位置づけなのかもいまいちわかってないけれど、これ見ながら自担とかその周りに思いを馳せたりはしないものなのかな?SHOCK初めて見た人の感想をあまり観たことがないもので……。

SHOCKはブロードウェイの話だけど、エンターテイメントというつながりで、私は日本の芸能界やジャニーズ事務所の世界を重ねて観てしまった。

そして以下のツイートにつながるわけです。

 

  

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原作の大ファンではない人が見た映画『ピンクとグレー』について

お正月の嵐の番組で大野くん、長野くん、シゲ、伊野尾ちゃんでかまくらの中で料理を食べるというウルトラハッピーな企画があったが、その番組を一緒に観ていた妹と母親がシゲの小説に興味を持ってくれた。

嵐って、テレビって、すごい。大感謝……圧倒的感謝……と唱えながら私は妹と母親のそれぞれの部屋にそれぞれ「ピンクとグレー(ハードカバー」と「ピンクとグレー(文庫)」「閃光スクランブル(ハードカバー)」を置いたのであった。文庫版閃光スクランブルを置かなかったのは単純にそのとき私がまだ読んでいたから。

で、妹は原作を読み終え、原作を読んでいない友達と一緒に観に行きました。

 

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ピングレ感想記事のメモ

前回のブログを書き終えて、ようやっとほかの人のブログを読みに行ける~と思いつつ、あんまり探せていない状況なんですけども。

みんな、感想はどこかにあるという感想専用の掲示板で書いてるのかな。

メモがてら読んだブログ記事を。

 

私の書いたこと、思ってることに一番近くて、「そうそうそれ~~!!」ってなったのはちょこさんのブログで。私、ちょこさんのブログ読んでから感想書いたかな?って思うぐらい私が思ったことを言葉にしてくださっていた。

hoorayhooray.hatenablog.com

 

なるほど~!!と思ったのはきょんさんのブログ。主に構成(設定)と登場人物たちの気持ちについて。

marshmallow114.hatenablog.com

 

こちらのブログも「なるほど~」と思いました。原作との違いについて。

penguinpg.hatenablog.com

 

面白い感想記事ほかにもあるのかな~まあいっぱいあるんだろうな~。教えてください。

箱根駅伝 ナイン・ストーリーズ

 

 11月、12月になってくると仕事のしんどさから「あと2か月で箱根、1ヶ月で箱根……」という謎のカウントダウンを心の中で始める。正月はこたつでぬくぬくしながら箱根駅伝を見るのがさいっこーの楽しみだ。200kmの中にあるたくさんの人間ドラマに感動して泣いて笑って、青学が勝ったら担当の母校というだけで喜んで(私は箱根とは過去も未来も縁のない女子大出身)。

青学が初優勝するまでの軌跡がメインだけど、それだけではなくて東洋や早稲田、駒沢、山梨学院、中央などなど、たくさんの大学について書かれているのが面白かった。いまや東洋や青学の物語が有名になりすぎてほかの大学について実況で語られることってわりと減ってきてしまっていると思うんだけど、どこの大学にもドラマはあって、それは選手の高校時代、はたまた監督の大学・高校時代から連綿と続いていくんだなぁと改めて実感した。

箱根駅伝は、歴史だ。とても長い歴史を持つスポーツの大会だ。

テレビ中継されて大学の宣伝要素として使われていても、主人公はいつまでも大学生たちで、その一人一人に人生があって過去と未来がある。