※ねたばれしてるよ(∵)
シゲアキさん3年ぶり、セミナー以来のアカデミックな舞台。
パンフレットのインタビュー一字一句からも彼の内面の変化が分かって面白い。
牢屋とかグリーンマイル(廊下)とか、そういう設備的なものを光で表現していて、面白いな~と思った。そして光で表現するからこそ、光の中のグリーンマイルを歩く人々の表情がよく映えて、やるせなさとか覚悟とかが伝わってくる。
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喉の病気で1年間音楽活動を休止していた黒木渚の1年ぶりのライブ。
「これから二時間、私をきみの大本命にしてくれ~!」という明るい掛け声で始まったライブはしょっぱなから渚節全開で頼もしいほどだった。
ファンの方が先に泣いてしまうぐらいだったんだけど、渚は、ありがとう、と言ったうえで「健康的にカラッといこう!」と宣言した。その宣言どおりの力強いパフォーマンスだった。
ただ、逆に明るければ明るいほど、「この場所が楽しい」「1年間ほんとうにみんなに会いたかった」という強い気持ちが伝わってきて、逆説的にエモさを感じてしまった。渚もファンも、待ち続けたステージだった。
わたしなんかはさ、ニウスもポルノも好きだけど、ほんとうに渚のことが1年間大本命だったひとは、嬉しくて嬉しくて仕方ないよね。私の周りも何人も泣いていたけれど、そりゃそうだよな~って思った。
「みんな1年間なにしてた?」というすごいざっくりした問いをファンにしたあと(結婚したとか子供が進学したとか失恋したとかいろいろあった)、私もいろいろしたよ、という渚ちゃん。
「江の島に陶芸しにいった」「空手教室に通った」「ジムでめちゃめちゃ鍛えた」
そのほかバンドメンバーでよく遊んでいたらしい。その話のあとに「1年間インプットしたことを全部みんなに伝える!」と言ったから、陶芸の作品とか空手の型とかの披露があるのかと思ってびっくりしてしまった。あたりまえだけどそんなことはなかった。
新しいことというのは、舞踏家さんとのコラボ(といういいかたが正しいのかは不明……)かな。朗読もありましたね。
舞踏家さんのパフォーマンスについては、もともと渚ちゃん自身が歌いながら手をひらひらさせたり左右に大きく揺れたりするひとだからか、その動きとマッチしていて世界の広がりがあった。面白かった。
わたしは渚のことを「あたしの心臓あげる」で知って、そのブラック・ダークな世界観にひかれて彼女のことを追いかけるようになったんだけども、数年たって彼女のうたは人を勇気づける、人の背中を押すものが多くなったように思う。彼氏を刺すこともなくなった(気がする)。
彼女の歌声はまっすぐに伸びていく。みんなを先導していく。あの細い体のどこにそんな力があるのかと思うほどのパワーだ。繊細で、でもだからファンのことがよくわかって、ファンが欲しい言葉が分かるのかなぁ。ファンと自分はよく似ていると言っていた。
今日、初日、幕が開けるまで怖かった、と渚が言っていた。また戻ってこれて、歌うことができて、嬉しい、と少しだけ泣いていた。
そうやって、戻ってこれたことを喜んで涙するのを見ていたら、シゲのことを思い出してしまった。秩父宮で今回ばかりはもう無理だと思った、と泣いたシゲのこと。
表舞台に戻ってくること、みんなの前で歌うということが、ファンの勝手なエゴではなくて、ファン以上に演者のほうが望んでいるということ、望んでくれているということがすごく素敵だな、幸せだな、と思って。すごく大変だっただろうに、見えないところに向かって努力し続けるのは辛かっただろうに、また私たちの背中を押してくれる、手を引いてくれることをしたいと思ってくれたこと、ほんとうに、ありがとう。
去年の福岡公演(?)、喉の調子が悪くなりはじめたころ、打ち上げのあとコンビニによってみんなでアイスを買おう~ってなってるときにベースの宮川さん(髭のひと)がすすすっと渚に寄ってきて「俺は君と武道館に行きたい」って言ってくれたんだって。それを聞いて、もう二次会なんか行けずにホテルに戻ってベッドでずっと泣いてたという話をしてくれた。
想像だけどさ、これだけまっすぐな人だからやっぱりその背中を、道を、見ていたいと思ったんじゃないかな。
宮川さんだけじゃなくて、ギターもドラムもキーボードも、渚ちゃんのことを大切に思っているように見えて、やっぱりそれは彼女の人間性なのかな~って。歌手に人間性求めるのも変な話だけど(笑)、それだけ大切に思われる人だからこそ、ファンのことも大切に思っているんだろうな~っていう説得力があったな。
私も、黒木渚がどこまでいくのか、見ていたいな。そのまっすぐな歌声で、細い腕を振り上げて、その細い指で示した先に向かってまっすぐに飛んでいく姿は絶対に美しいと思う、綺麗で美しく、幸せそうに笑う彼女の顔を見たいな。
ファンのことが大好きだ、誇りだと彼女は何回も言っていたけれど、私も、こんな素敵な人を知れて、好きになれてよかったなぁと思った。
続きを読む太一くん43歳の誕生日おめでとう!
シゲの30歳をお祝いした気持ちがまだ続いているので、珍しく、太一くんの誕生日にもブログを書いています。
私にとって初めての自担はシゲ、という感覚です。私は太一くんの「ファン」というつもりで、かれこれ13年ぐらいあなたを見ています。でも、私は好きなものが多いし正直いつだって、TOKIOが私の中で1番になることはなくて、太一くんの番組だって金曜ビビットぐらいしかちゃんと見てません。だからまったくもって胸を張れたファンではないしわからないことばかりなんだけど、それでもどうしたってどうしても好きなんですよね。かわいくてしかたないんだよ。
普通って言われてたこと、ピアノの練習をめちゃめちゃしたこと、緊張しいで手が震えること。サッカーやフットサルが大好きなこと。TOKIOでは真ん中っこなのにメンバーに末っ子みたいな絡み方するとこ。キーボードパートがないとふざけて長瀬とちゅーするところ(いみがわからない)。誕生日のお祝いされると恥ずかしくてドラムセットの下にもぐりこんじゃうとこ。まつげが長くて目が大きいとこ。TOKIOで1番声が低いところ。アンビジャスジャパンの下ハモ最高です。泣き虫なところ。オーラスではすぐバスタオルにくるまってる。
そんなふわふわした私の太一くん像だけど、ふわふわと応援していたらいつの間にか結婚して、報告の手紙をもらって、シゲに「俺全然知らなかった!!!」と文句を言われてた。あれは笑った。シゲと太一くんもうちっとでいいから仲良くなってほしいけどシゲがサッカーしないから無理かなぁ。
そんで、娘も産まれて、娘を想った唄を作って。いま、storyを聞きながら書いています。
ジャニーズアイドルが自分の子どもを想った歌を作るって、すごくない?思えば太一くんは女性歌手との交際宣言もしてたぐらいだし(その是非はおいといて)もとからあまりまっすぐなアイドルの道ではなかったのかもね。TOKIO自体がもともとそういうグループな部分もあるしなぁ。
好きなアイドルが幸せであることを、歌という彼らの武器で知ることができてとても嬉しいよ。太一くんが作詞作曲できるひとでよかったなぁ。太一くんの見た世界、感じた匂い、受け取った思いを、減っちゃうかもしれないのに私たちにも分けてくれてありがとうね。太一くんがとても幸せで満ち足りた瞬間のことを知ることができて、ほんとに幸せだよ。storyはとても美しくて綺麗な歌だよ。
なにしてても好きなんだけどさ、メンバーの前で破顔して笑ってる姿が1番なにより愛おしいし、太一くんの指先が紡ぐメロディーが好きだよ。早くコンサートで会いたい。storyを生で聴きたいよ。
今年も、どうぞ体には気をつけて、お元気に。
誕生日おめでとう!
ここ数日の寒さと雨が嘘のように、収録日の7月20日は晴天だった。
わたしは30歳のシゲを観に日帰りで広島に向かった。シゲ担の友達とお好み焼きを食べ、お店の壁に亮が描いた謎の木のイラストと、中居くんと慎吾が座ったと思われる席を眺めながら「ネバーランドの打ち上げは4人かと思っていたらスタッフさんの家族宅という事実が判明して、いいんだけど、嘘じゃないんだけど、結構詐欺」みたいな話をした。
そのあと、観覧行きませんか?と声をかけてくれた広島の友達と合流し、平和記念公園を案内してもらった。十年ほど前に一度、数年前に社員旅行で一度来ていたので3回目だった。記念公園はとても綺麗で、広島のひとたちがこの場所に重ねる思いの強さを感じた。工事をすると土の中から人骨が出てくる話を聞いて驚いた。原爆ドームも観た。青空の下の原爆ドームは、私のなかで「夏の広島」のイメージそのものだった。あまりの暑さにわりと早々にカフェに逃げ込み、しこたまお土産を買い込んだ。レモン味のものが好きなんですよね……
いざ観覧。収録が終わったあと特別ライブがありますって言われてマジで帰れないかと思ったけど結果的には大丈夫だった。無事新幹線で帰りました。東京最終の新幹線なので、いまとなればよく考えればまあ当然、シゲも同じ時間だったんだけど車両も全然違ったし見てはないです。
収録は、色々いわれてたうちわより、個人的にはみんながいっせいに双眼鏡持ってる姿が後ろから見てると、面白い光景だった。うちわについては、ツイッターの呼びかけでうちわを持ってくるのをやめるような子は最初からうちわを持ってこないのでは、と思っていた(わりとどうでもよかった)。
数列前の女の子がシゲが出て来る前から「もう泣きそう;;」って騒いでて実際に出て来たらほんとに泣き始めて、なんかそういう気持ち忘れてたな……と収録序盤ですでに反省した。
30歳のシゲは少し緊張した面持ちで、だけど堂々とMCの役割を全うしていた。石川さゆりさんや南こうせつさんとシゲが話している光景は、不思議だった。
収録後に「別撮りでニウスとシゲの歌も収録していて、当日流れます」というようなことをいったときの歓声がすごくて、「今日一番の歓声」って言われた。ただ、個人的には、収録後の特別ライブで「石川さゆりさんが津軽海峡・冬景色を歌います」って言ったときの歓声もそれに匹敵するものがあった。
収録後は大慌てでバス停まで走ったらまあまあ余裕を持って広島駅まで戻ってこられた。広島の友達とちょっと会う約束をしていて、駅前の噴水って言われて「噴水あるんだ」って驚いた。名古屋か浜松かどっかにもあった気がするな……。そこで観覧に誘ってもらった友達と別れ、広島の友達に新幹線口まで送ってもらいつつ、いのちのうたのダビングをお願いした。その友達と8月はすでに2回会ってて、ディスクも受け取った。だけどほかにも渡さなきゃいけないものを渡すの忘れて、オタクってやりとりするものが多いな……としみじみ思った。
そのディスクを見た感想を書こうと思って記事書き始めたのに日記が長くなってしまった。
続きを読むシゲの誕生日お祝いはまだまだ続くよ。ということで先日、カトシゲ写真館のロケ地めぐり@東京駅 をしてきました。といっても高いお店は入れないのでなんとなーくですが。
まずは丸の内。
カトシゲのTOKYO今昔写真館 「東京駅丸の内」2017年6月2日放送 |TBS「ビビット」
東京駅までJRで来たのでまずはグランスタの中から。
ポスターが貼ってある
めちゃめちゃ宣伝してくれてる
食べる。美味しい!!
シゲちゃんたちが座っていた席
丸の内北口地下改札のほうに歩くとシゲが操作していたコインロッカー検索機がある
丸の内北口地下改札からエスカレーターをのぼり、丸の内北口改札へ。
ちょうどこのときは、不染鉄という画家の作品展でした。
www.ejrcf.or.jpとにかく靴の音が響く……要注意だよ……。
展示スペースが変わった形で、小部屋のような場所もあったりして面白いギャラリーだった。エレベーターで最初に3階に向かい、そのあと2階・1階と階段で降りる。
レンガ造り。「東京駅って重いんだな~!!」
ミュージアムショップも楽しい。スイカペンギンのマステと東京駅の飴を買った。
道路を渡って丸ビルのあたりへ
行幸通り
東京駅丸の内の駅前は工事中だけど、なにが出来るんだろ。この通りが一直線に見える感じになるのかなぁとは思うけど。
力士のまげイメージの説があるモチーフ
ふたたび丸の内北口へもどり、八重洲口への自由通路をとおり、八重地下へ向かいます。
カトシゲのTOKYO今昔写真館 「八重洲」2017年6月9日放送 |TBS「ビビット」
ヤエチカの中でもかなりの京橋寄り。駐車場のスロープの下にあるので天井がななめのお店。このときすでにご飯食べたいムードだったのでお店には入らず……でもコーヒーのいい匂いがした。今度は入ってみたいな~。
床の大理石の写真撮ってくるの忘れた。ちなみに私が行ったときは、復刻版イチゴジャムは品切れだった~。月末には入荷というようなことを言っていた気がするから今はもうあるのかな。
代わりにキウイのジャムを買いました。緑なので。
明治屋の角を、東京駅方面に向かって歩くと左手に出てくる。はちみつはフェア?フェス?やってるときじゃないと買えない。ので、シゲがここに来たんだなぁと思いを馳せておく。
シゲがロケ行ったとこしか行ってないけど、楽しかった~!!シゲがここにいたんだなぁとか、同じところから同じ風景見てたんだなぁと思うと同時代に生きていることを実感して感慨深くなったり。
日本橋も銀座も築地も行きたい。
<番外編>
最後にご飯食べたヤエチカのこのお店、とても美味しいかったし、ワインが2時間赤白飲み放題980円でとてもお得だった。
お誕生日おめでとうございます。
わたしが初めてお祝いした自担の30歳は、中居くんの誕生日でした。あのときのわたしはアイドルが30歳になるのが信じられませんでした。いまから考えたらもうそのときには山口くんもリーダーも30歳なんですけど、とにかくそのときのわたしは、中居くんが30歳になるのが衝撃でした。だってメンバーソングで「あいつはさんじゅう〜」って歌われるぐらいですから。でも30歳になってもSMAPはずっとアイドルでした。SMAPがなくなっちゃいましたけど。
それはともかくとして、「30歳」にはわりと思い入れがあります。だからシゲが30歳になるのも、感慨深いです。
わたしがはじめてシゲを観たのはきっと08→09のカウコンです。でもそのときはニウスのメンバーのことは全然知らなかったので、「きっと」としか言えませんが。初めてシゲを観たくて観たのがセミナーでした。そう考えると、21歳のシゲから好きになったということですね。大雑把ですけど、20代のシゲを8割ぐらいは観ていたのだと思います。
20代はどうでしたか。たぶんいっぱい泣いたし揉めたし打ちのめされたんじゃないでしょうか。でもそれを補って余るほど幸せだったのではないかと想像しています。そうであってほしいという気持ちです。
シゲほどではないですけど、わたしもシゲやニウスを好きになって、それなりに泣いて傷ついて怒って打ちひしがれて。いやなこともたくさんありました。今が楽しいから忘れがちですけど、考えたらそういう時間も割と長かったような気がします。
わたしの人生のタイミングがニウスとあわなかったことや、わたし自身が適当に生きていることもあり、わたしはニウスの存在に救われたことは、たぶん、ないです(ポルノやSMAPに背中を押してもらったことはあります)。ニウスを好きになってよかった点も、そう、思い出せません。ニウスのせいで泣きすぎて釣りの約束に遅れたことはあります。
だけどやっぱりどうしようもなく好きだなぁと思います。幸せになってほしいな、と思います。秩父宮で再び飛んだニウスを観て泣いたのが本当の気持ちです。
愛をくれなくてもこっちを見てくれなくても、こっちが一方的に好きでいさせてくれればそれでいいです。とはいえファンサはくれるものなら欲しいですけど笑
シゲはわたしを幸せにはしないけれど、シゲには幸せになってもらいたいです。好きになりたてのころ、どうしたらシゲが幸せになるのか笑ってくれるのか、わたしが観たいアイドルになってくれるのか、分からなかった。でもいまは、シゲは自分で自分を幸せにする強さと力と自信を身につけた。そして楽しそうに笑っているシゲが見られることが、とても嬉しいです。幸せです。
ほんとうに、いい男ですよね。
2010年のライブコンのとき、アンコールでうまくアイドルできずに戸惑ったまま終わってわたしを落ち込ませた男が2017年に泣くメンバーの肩を抱いて笑うようになるとは思いませんでした。
ちかごろ、今のシゲが好きすぎて「2010年ごろなんでそんなにシゲのこと好きだったんだろう」とよく考えてました。いろんなひとにこの話をしました。
「残念なところとかどうしようもないところを好きになった」「素材がいいのに全然使えてなかったころあったよね」「シゲはずっと頑張ってた」「でも最初からいまの4人だったら好きじゃなかった」
いろんなひとがいろんな考えをしていて面白いなぁと思いました。どれもが、全部
確かになぁ、そう納得できる感じ方でした。
そんなことを考えながらツイログを眺めていて、でもやっぱりどのときもそのときのシゲをとても好きでいる自分がいました。2011年のわたしは2011年のシゲを。2010年のわたしは2010年のシゲを。だからきっと、2009年のわたしが2017年のシゲを見ても好きにはならなかったのかもしれない。だって全然違うひとみたいだもん。わたしは、好きになったときのシゲがいたからこそ、いまのシゲが好きで、いまもシゲのことを好きなんでしょうね。ただただ、点を追う。点と点を追いながら線となる過程に想いを馳せる。線が連なって面になっていき、シゲの好きな世界、愛するものを知っていく。
中高生のころ「わたしは一生スマップが好きだ。」と思っていました。でも解散より数年前に、わたしはスマップを追うことをやめてしまいました。だからいまどれだけシゲのことが好きでも、いつかはもしかしたら、追いかけるのをやめてしまうかもしれない。だけどそのとき、点と点をつなぐような線を追っていけばきっと、いつもあの春に好きになったシゲがいるのです。季節は違うけれど、シゲはわたしのエンドレスサマーです。
この1年が、10年が、この先ずっと、幸せなものでありますように。お誕生日おめでとう。
あんな文章を書けてしまうまっすぐすぎるシゲと、同じ感覚を持っているとはちっとも思わないけど、文章の「ツッコミの余地を与えない書き方」については少し似ているかも、と思った。
私は「どんなことにも必ず理由がある」という考えなので、不可解なこととか理解できないことも「誰かが考えた結果なんだ」「これをよしとしている人がいるんだ」という風に考えるようにしてたんですね。理由を探していく。
でも、ニウスから2人脱退したときに、その考えもやめてしまったのでね。「いやなことはいや」でしかないんだな、と気付いたので。山下くんがソロでやりたくても、私は嫌だ!!!!!みたいな。
というわけで、シゲクラについても、とにかく私が思ったこと感じたことを、記録しておこうかと。シゲだって自戒のために記事にしているんだから私も残しとこ。すぐシゲと同じことしたがる。ヲタクだから。