ロマンはどこだ?

そのとき思ったことをなかったことにしないために

まっすぐにどこまでも/黒木渚・音楽の乱(2017/09/24)

喉の病気で1年間音楽活動を休止していた黒木渚の1年ぶりのライブ。
「これから二時間、私をきみの大本命にしてくれ~!」という明るい掛け声で始まったライブはしょっぱなから渚節全開で頼もしいほどだった。
ファンの方が先に泣いてしまうぐらいだったんだけど、渚は、ありがとう、と言ったうえで「健康的にカラッといこう!」と宣言した。その宣言どおりの力強いパフォーマンスだった。

ただ、逆に明るければ明るいほど、「この場所が楽しい」「1年間ほんとうにみんなに会いたかった」という強い気持ちが伝わってきて、逆説的にエモさを感じてしまった。渚もファンも、待ち続けたステージだった。

わたしなんかはさ、ニウスもポルノも好きだけど、ほんとうに渚のことが1年間大本命だったひとは、嬉しくて嬉しくて仕方ないよね。私の周りも何人も泣いていたけれど、そりゃそうだよな~って思った。

「みんな1年間なにしてた?」というすごいざっくりした問いをファンにしたあと(結婚したとか子供が進学したとか失恋したとかいろいろあった)、私もいろいろしたよ、という渚ちゃん。
「江の島に陶芸しにいった」「空手教室に通った」「ジムでめちゃめちゃ鍛えた」
そのほかバンドメンバーでよく遊んでいたらしい。その話のあとに「1年間インプットしたことを全部みんなに伝える!」と言ったから、陶芸の作品とか空手の型とかの披露があるのかと思ってびっくりしてしまった。あたりまえだけどそんなことはなかった。
新しいことというのは、舞踏家さんとのコラボ(といういいかたが正しいのかは不明……)かな。朗読もありましたね。

舞踏家さんのパフォーマンスについては、もともと渚ちゃん自身が歌いながら手をひらひらさせたり左右に大きく揺れたりするひとだからか、その動きとマッチしていて世界の広がりがあった。面白かった。

わたしは渚のことを「あたしの心臓あげる」で知って、そのブラック・ダークな世界観にひかれて彼女のことを追いかけるようになったんだけども、数年たって彼女のうたは人を勇気づける、人の背中を押すものが多くなったように思う。彼氏を刺すこともなくなった(気がする)。

彼女の歌声はまっすぐに伸びていく。みんなを先導していく。あの細い体のどこにそんな力があるのかと思うほどのパワーだ。繊細で、でもだからファンのことがよくわかって、ファンが欲しい言葉が分かるのかなぁ。ファンと自分はよく似ていると言っていた。

 

今日、初日、幕が開けるまで怖かった、と渚が言っていた。また戻ってこれて、歌うことができて、嬉しい、と少しだけ泣いていた。

そうやって、戻ってこれたことを喜んで涙するのを見ていたら、シゲのことを思い出してしまった。秩父宮で今回ばかりはもう無理だと思った、と泣いたシゲのこと。

表舞台に戻ってくること、みんなの前で歌うということが、ファンの勝手なエゴではなくて、ファン以上に演者のほうが望んでいるということ、望んでくれているということがすごく素敵だな、幸せだな、と思って。すごく大変だっただろうに、見えないところに向かって努力し続けるのは辛かっただろうに、また私たちの背中を押してくれる、手を引いてくれることをしたいと思ってくれたこと、ほんとうに、ありがとう。

 

去年の福岡公演(?)、喉の調子が悪くなりはじめたころ、打ち上げのあとコンビニによってみんなでアイスを買おう~ってなってるときにベースの宮川さん(髭のひと)がすすすっと渚に寄ってきて「俺は君と武道館に行きたい」って言ってくれたんだって。それを聞いて、もう二次会なんか行けずにホテルに戻ってベッドでずっと泣いてたという話をしてくれた。
想像だけどさ、これだけまっすぐな人だからやっぱりその背中を、道を、見ていたいと思ったんじゃないかな。
宮川さんだけじゃなくて、ギターもドラムもキーボードも、渚ちゃんのことを大切に思っているように見えて、やっぱりそれは彼女の人間性なのかな~って。歌手に人間性求めるのも変な話だけど(笑)、それだけ大切に思われる人だからこそ、ファンのことも大切に思っているんだろうな~っていう説得力があったな。

私も、黒木渚がどこまでいくのか、見ていたいな。そのまっすぐな歌声で、細い腕を振り上げて、その細い指で示した先に向かってまっすぐに飛んでいく姿は絶対に美しいと思う、綺麗で美しく、幸せそうに笑う彼女の顔を見たいな。

ファンのことが大好きだ、誇りだと彼女は何回も言っていたけれど、私も、こんな素敵な人を知れて、好きになれてよかったなぁと思った。

 「革命」という、ジャンヌ・ダルクをモチーフにした歌がすごく好きで、今回それがセトリに入っていて嬉しかった。
細腕を振り上げて気高く歌い上げるすがたは希望そのものだ。足が震えても、つまずいてもしくじっても、険しくても確かに向かって行くのだという歌詞、それを高らかに歌い上げるその歌声はたしかに気高くて、太いわけじゃないんだけど、どうしてかパワフルなんだよなぁ。

これほんと不思議なんだけど。声量がめちゃめちゃ大きいわけでも、低音が響くわけでもなくて、高めの声でなんなら一見か弱くなってしまいそうなのに、そこにみなぎる生命力がすごい。
ほんとうにこのひとは、「右手に情熱を掲げ 左手で君の手を引く」覚悟で生きているんだなぁと思わせる説得力があった。

あと、「火の鳥」。休止中、バンドメンバーで演奏?レコーディング?した曲。
「哀しみと喜びが 諦めと悔しさが つり合って真っすぐに空を飛ぶ」
まっすぐに空を飛ぶ、で両手を広げて歌う彼女のすがたは一本芯が通っていてかっこよかった。ほんとうに、どこまでも飛んで行けそうだった。そんな歌声だった。
先導して走り続けていた彼女の歌声のなかに、包容がくわわった。それでいいんだ、って。彼女はずっとやさしいけれど、またちがうかたちの優しさが、この曲にはあった。
「ゆれる運命に復讐を」というけれど、おどろおどろしい雰囲気はみじんもなくて、復讐するのは環境とか人とかではなくて、「運命」なんだなぁと。運命への復讐は、その運命を変えることだから、だから真っすぐに空を飛んでいくことこそが、復讐。

火の鳥みたいに復活した彼女が美しく羽ばたいた夜。素敵な夜だった。

そうやってどんどん進化、変化していく彼女の歌声が、いつか武道館で広がるように届くといいなぁと思うし、その現場に私も立ち会いたい。

まだ喉本調子じゃないのかな~と思うときもあったけど、たぶんマグロみたいに歌ってないと死んじゃいそうだし、休んでほしいとは思わないけど、こう、無理をしないで、長く長く歌い続けていてほしい。