ロマンはどこだ?

そのとき思ったことをなかったことにしないために

好きは呪いだよ

年明けからずっと、「好き」について考えている。


きっかけは会社の同期からの一言。
わたしたちはいまのプロジェクトに配置されて丸9年を向かえようとしている。
わたしと同期女子は年上男性に萌えを感じるタイプの同類なので、会社で1番かっこいいのはあの人、プロジェクトはあの人、などと言って遊んでいる。(ちなみに言ってるだけでまじで何もない)
わたしはプロジェクト内のナンバーワンは9年前から変わっておらず、しかももうその人はいまや弊社にはいないのに、だ。いまだにナンバーワンとして語るものだからとうとう同期に
「ずっと言ってるよね、ほんとブレないね〜」
と言われた。
そう言われて、この、ずっとブレない思考はヲタクの「担当」「推し」制度独特のものなのか?と思い始めた。


わたしにとって誰かを好きと宣言することは、アイデンティティの確立だ。○○担ですと名乗ることは、強い意味を持つ。と同時に、名乗るまでにはそれなりの迷いや検討などもあるが、一度名乗ってしまえばとくに理由を考え直すこともない。楽なもんだ。
それと同じ感覚で会社の人を一度「好き」と言ったらそこから他の人を一番好きになるなんて考えはなかった。よっぽどタイプの人が新しく来なければまあランキング変わらないだろう。更新する発想がなかった。
(恋愛感情抜きの話なのでね) 


好きは色眼鏡、そして呪い

シゲのソロ曲やシゲの声、シゲの生み出す文章、好きだなぁと思うけれど、彼を「担当」と認識して、彼に対して好意がない状態のとき、ここまで彼の作品に夢中になっていたかは正直自信がない。

シゲの顔、表情、これまで私が見てきた年月の積み重ね。それらを通して見るシゲの作品は確かに私の心を打つ。だけどなにも知らないフラットな状態でそれらと出会った時に好きになるかはわからない。だからあんまり人に積極的におすすめができない……。文庫本は、勝手配ったり入院した友達にお見舞いとして持って行ったりするけどね。。
担当の作品であるという色眼鏡で見たから彼が作ったものが好きなのかもしれない。

彼のことを好きだから必然的に彼の作品を好きになる。それはある種「呪い」だと思う。

 

好きが「呪い」だと、鮮烈に頭をよぎった出来事がある。

2019年4月7日、WORLDISTA 仙台日曜夜公演。譲っていただいたチケットがありがたいことにアリーナの前のほうだった。

アンコールで登場した加藤さんは、2015年のWhite以来のかわいいポンパドールで(オールバックじゃなくってこと)目の前に立った。

「今日は今日の 明日は明日の 君にそうずっと恋をする」

そう歌う彼を見て、2015年にめちゃくちゃに好きだったこと、そういえば自分の作ったうちわで明確にファンサをされたのはWhiteが初めてだったこと、そんでもってそれからずっと彼のことが好きで、今も好きで、何度もシゲのことを好きになるって、

その瞬間に一気に感情が溢れ出て、泣かないなんて無理だった。

でもそのとき、その好きって感情、「呪いだ」とも思った。

ずっと好きで、好きが増えていくしかなくて、とらわれてて、この先彼以上に好きになる人間なんて見つからないんじゃないかって思ってめちゃくちゃ怖かった。

生身の人間だけど生身じゃない。どんなに愛を伝えてくれても1:nでしかない。なのにこんなでっかい感情どうすればいいんだ?って途方にくれた。

ちなみにこの答えは今も出てなくて、どうにかしたいんだけどどうしようもできなくて、とりあえず現状、彼以上に好きな人間が見つかっていない。困ってます。まじめに。

好きは、呪いだよ。


好きはアイデンティティ

忘れられないブログがある。どなたが書いたのか、誰担だったのかも思い出せないんだけど、強烈に印象に残っている記事がある。

<あらすじ>
ジャニヲタとしてツイッターしたりブログ書いたりしている私。ある日、ひょんなことから急に若手俳優にハマってしまった!自分でも驚くほどの熱量が体の底から巻き起こる。ついには、担降りをして彼を生活の主軸に置くか、迷い出した。

だけど懸念がある。担当をやめるということは、いま、自分が「○○担」であることで産まれた関係性を薄くするということだ。それは、寂しい。

</あらすじ>


結果的に、そのひとは担降りはしていなかった。たしか、若手俳優のほうの熱が落ち着いたんだったと思う。


同じアイドルの担当、同じアーティストのファン、同じ漫画のファン。いまはインターネットでそういう人たちと簡単に出会える。
仲良くなったら好きなものの話以外だって普通にするけど、担当変わっても仲良いだろうなって人もいるけれど。いまやふつうに友達って人も何人もいるけど。そうじゃないひともいる。

同じコンサートや舞台に行くことがないと連絡や会うタイミングを逸してそのまま疎遠になったりもする。
だから「何かを好き」っていうのはインターネット界隈ではアイデンティティだと思う。
わたしこういうものが好きです、よろしくお願いします。

このたびこちらに「好き」の比重を重くさせて頂くことになりました。

 

それとは別に、自分自身でも、好きは自分を形成している

 

「好き」と追いかけること

好きなものの活動を追いきれないときがある。感情の容量にもお金も時間も限りがある。
活動がたーくさんあって、追いきれなくなって、ついに人生で初めて入って十数年更新し続けていたファンクラブを手放したことがある。
それでも、「好きだな」とふとしたときに思ってしまう人たちがいる。
SMAP、そして中居くんだ。
テレビ番組全部は追えないし雑誌も集めてたわけじゃない、アルバムは買うけどシングルは気が向いたら、ラジオも聞けたら聞く。そんな感じで緩やかにファンをしていた。ファンクラブ辞めたころにグループの活動がなくなった。
たくさんの有象無象の報道があり、SMAPはついに幕を下ろした。悲しいなんて言える立場じゃないかもしれないけれど、衝撃だった。


そしてこの春、中居くんはジャニーズ事務所を退所した。
なんだかとても悲しかった。なにが悲しいのか、わからなかったけれど、無性に悲しかった。
記者会見の時間に、私は黒木渚のライブを観ていた。

これは前にライブに行った時の話。
 

whereisromance.hatenablog.com

 シゲ部でも何度か取り上げてるね

whereisromance.hatenablog.com

 

病気する前に比べたら声にムラがあって、不安定な感じがした。好きになったときの声にはきっともう戻らないのだろう。それでも、彼女を観たいのは、変わってゆく彼女の姿を見ていきたいから。

どうしてこんなにも、見ていたいんだろう。

彼女は、カルデラという曲を歌った。


黒木渚「カルデラ」LIVE at EX THEATER ROPPONGI 2020.2.21

「最低だって思う日は会いにきてよ」「目印になるよ」

細い手足でみんなを引っ張っていく姿を見て、ふと、『幸せになってほしい』というフレーズがぽろっと頭の中に浮かんだ。

あまりにも自然な衝動で、でも全ての答えだった。
そして、ああ、これがわたしの「好き」の原点だな、と思った。すっかり忘れていた。このブログでも何度も、「幸せになってほしい」と、シゲや太一くんの誕生日のたびに言っていたのに。

 

黒木渚のライブから帰宅して、中居くんの記者会見を見た。

「やりたいことを探すために環境を変える」と言っていた。胸を打たれた気持ちになった。

この人は満足するために、でっかくくくれば幸せになるために、その道を選択するのだと知れて、とてもうれしかった。

私は、印象深いエピソードがあるとそれを延々とこすってしまうので(「俺のほうがかとしじゃん!」とか)、ときにそのエピソードのイメージが強すぎて彼ら自身に対してアップデートが追い付いていないことがある。

私のなかの中居くんは「二十年近く前にMyojoの記事で寝ころんで「夢はもうない」って言った中居くん」から何一つ変わっていなかった。ずっとそれが鮮烈な印象で、中居くんはなにを考えてどう生きていくんだろう、って、不思議だった。

それが今回、「やりたいことを探すため」にやめると言っていて、ずっと前に置いてきた「夢」っていう概念を探しに行くんだ、って思った。でも、私がちゃんと見ていないころからもうずっと、「夢」を思い出してたのかもしれない。

本当のことは、いま、彼と距離がある私にはわからない。

でも、いやもはやこじつけかもしれないけれど、「夢はもうない」と言っていた人が「やりたいことを探しにいく」っていう考えになったことって、すごくすごく素敵だなって、感じた。

幸せになる気があるんだな、ってわかって、本当にうれしかったんだよ。

好きなひとが、幸せになろうとしている。やっぱり、めちゃくちゃに、うれしい。

 

 

シゲや、にうすのメンバー、太一くん、中居くん、ポルノのギターの人、黒木渚

彼らの考え方が面白いとか、興味深いとか、追いかけたくなるとか。いろいろあるけど。
わたしにとってのシンプルな好き、は、幸せになってほしいと思うこと。

 みんなみんな、幸せになってほしい。幸せにいてほしい。

「幸福を願う人」のことを、私は「好き」と宣言する。

 

わたしに「好き」という呪いをかけた人たちに、
わたしは「どうか幸せになって」という呪いをかけている。

 


幸せとは?

とはいえ、わたしも聖人ではなく、彼らに願う幸せは「わたしが思う彼らの幸せ」でしかない。

それがずれているとたまに怒ったり悲しくなったりする、どうしようもない、一ファンだ。

4月ごろ、SmileUpProjectになかなかNEWSメンバーの動画があがらなくて、ジャニウェブのリレー企画にも出てこなくて、クラウドも更新されなくて。

「幸せになってほしい」っていうシンプルな感情で私は彼らを応援していると思っていたけれど、実際全然そんなことはなかった。

私は「私の見えるところで」「私の思う形で」幸せになってほしかったんだな、と思い知った。知らないところで幸せになってるかもしれないけれど、それじゃ満足できなかった。オタクなんてそんなもんだ。

結局NEWSは動画をあげてくれたしまっすーとシゲはリレーにも登場してくれたので、満足しました。

 


ここまでを4月に書いていた。

 

6/19、私の好きなグループのメンバーが減った。

正直な気持ちを書くと、グループのなかではシゲが1番好きなので、そしてグループでいるシゲが好きなので、「シゲがNEWSでいることを選んでくれた」ことに、なによりほっとしてしまった。

シゲがアイドルを選んでくれたなら、あとは、彼の望む通りにいてほしい。

やっぱり、呪いだ。
好きな人たちに、「私の願う形で」幸せになってほしい。

それが難しいのであれば、私の希望しない形でもなんでもかまわないから、幸せになってほしい。

ずっとそうやって、呪ってしまうよ。だって好きなんだもん。

好きな人がいるグループ、好きな人が好きなメンバーのことを私は好きになるんだよ。いつか「好きだった」になっちゃうのかもしれないけれど、でも人生のある程度の期間「好き」と感じたひとには、みんな、すべからく、いい方向にこれからの人生が進んでいくことを願う。

ただ、それを「願い」というのは自分の中で腑に落ちなくて、自己中心的な側面も含めて、やっぱりこの感情は「呪い」なのかなと思っている。