ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ2022(2/11夜公演)感想
観てきました。
すっっっごかった。
コンサートの中でヘドウィグが今日このコンサートにいたるまでを語るという形式なので歌が多いんだけど、1曲目のエネルギッシュな歌声に圧倒されて泣きそうになった。わたしはこういう、圧倒的なエネルギーを感じたくて現場に行くんだなあと改めて実感した。
丸山くんの演じるヘドウィグは開けっ広げでストレートで少々下品なところもあり、パワフルで、だけどとてもかわいい、魅力的な人間だった。いちもつ銜えてズボズボしてるときの音とか、すっっっごくて笑ってしまったな。迫力満点。
だけどそういう爆発的なシーンがあるからこそ、ヘドウィグがただただ静かに、自分の上を通っていった男たちのことを語るシーンの静謐さが響いた。そこには小さな少女がいる。
傷ついても裏切られてもひさすらに走り続けるヘドウィグ。そして今隣にいる、イツハク。ヘドウィグとイツハクのやりとりいつも殺伐としていて、そこに愛があるのかよく分からなくてちょっとドキドキしてしまったw イツハクは、自分をいまの場所から連れ出してくれるだれかを求めていただけなのでは?と思って(それはヘドウィグ、ひいては少年ハンセルも同じか?) 最後の最後に二人の本当の関係性ははっきりと分かるし、パンフレットでも「すごく好き」って言ってたから、大丈夫だったんだけど。お互い、すごく好きだけど嫌いなところもいっぱいある、二人の関係性。目的が「ここから連れ出してくれること」だったとしても、「それを叶えてくれたひと」のことを愛することになんの不思議もないですね。うんうん。
加藤さんも1月のラジオで「丸山くんヘドウィグやりますよね、すごいことですよ」と話題にしてました。過去にも何人もの役者さんたちがヘドウィグを演じてきている。それぐらい、この舞台の主演を務めるということは素晴らしいこと、そしてとても大変なことだと思います。
私は山本耕史さんの「ヘドウィグアンドアングリーインチ」を一度観たことがあり、なにがなんだかわからないがすごい…!(よしもとばななさんのBurn帯コメントか?)という気持ちになった。そのときは、下半身ジョークに関しては大人しめかな? と思ったんですね。三上博史さんのフェラがすごいとか聞いていたので。そういうのはなかったと思う。
(ただ、パンフレットを読んだら、今回の演出家、鈴木勝秀さん(SEMMINARの演出したかた)が耕史のヘドウィグも演出してらしたそうなので……記憶間違ってる可能性なきにしもあらず)
で、そういう少し丁寧なヘドウィグアンドアングリーインチをイメージして観に行ったらぜんっぜん違って腰が抜けた。これがヘドウィグアンドアングリーインチなんだな…!
歌詞は英語だったり日本語だったり。聞き取れないとストーリー分かりづらいかな? とも思う。映像が分かりやすかったから大丈夫かな。パンフレットに日本語歌詞出てた。
ヘドウィグアンドアングリーインチは、ヘドウィグが少年ハンセルだったころ、小さいころ母親に聞いたプラトンの物語のなかに出てきた、「自分のカタワレ」を探すお話です。カタワレなんて、「ガラスの仮面」通ってきたひとみんな好きじゃん…?(くそでか主語)魂の半身だよ……。
パンフレットによると、ヘドウィグアンドアングリーインチはアジアでは日本と韓国で人気があるらしい。韓国は南北分断の歴史があるからなんだって。興味深い。日本で人気の理由は、パンフの対談読んでもなんかよく分からないな…って思ったけど、ガラスの仮面の文化圏だからっていうのもほんのちょっとある気がした。どうでしょう?!
ヘドウィグはドラァグクイーンでめっちゃ派手な女物の恰好をしてステージに立ち続ける。ドラァグクイーンとして求められる立ち振る舞いをするので、上品ではないけれど基本女性の動き方なんです。
で、ヘドウィグが一時期「カタワレ」だと思っていた、年下の、トミーという男の子。彼はヘドウィグが性転換をしたときにミスで残ってしまった1インチのペニスを触らされたとき、思わず拒絶してしまう。でもヘドウィグに教えてもらった仕草や一緒に作った曲を使ってデビューして、全米で人気を博した。ヘドウィグはトミーのバンドツアー(会場がめちゃでかい)を追いかけるようにツアーしてる(小さいところで)
最後の最後で、丸山くんがヘドウィグではなくトミーの台詞を言い、トミーとして歌うところがあるんだけど、そこが、ヘドウィグと全然歌い方や立ち振る舞いが違って、二人の人間がそこにいるんだと、感動した。奇抜なメイクもウィッグも全部取り払ってパンツいっちょだからビジュアルからして「トミー」なんだけど、でも、たたずまいにも説得力があったんだよね。ハッキリと男声になった。
パンフレットで本間さんが「マルちゃんは高音から低音までが出せるから」という話をしていた。なるほどたしかに。
パンツいっちょで歩くトミー、というかヘドウィグ、胸筋がぷるんぷるん揺れててかわいかったな。加藤さんも胸筋すごいって増田さん言ってたけどもしかしてああやってぷるんぷるん揺れるのかな……気になる……。
しかし2022ってついてるだけあって、ちゃんと今年やってる設定なんだけど、じゃあヘドウィグ何歳?とたまに考えてしまったなw
— でにう (@deniu_fabc) 2022年2月11日
70年代に少年だった設定なので、いま50近く。なくはないのか…🤔
2022だからこそのセリフは面白かったな。
「コロナの影響で、去年のツアーは1日おきにPCR検査をやっていて費用がかさんでツアーやってもやっても赤字」
「LとかGとかBとかTとか!QとかAとか!」
余談ですけど、草彅剛さんの映画「ミッドナイトスワン」を「歌舞伎町のヘドウィグアンドアングリーインチ」とおっしゃっていたひとがいて、たしかに……たしかにな……と深く納得したことを覚えています。
ミッドナイトスワン、パンフレットでも話に出てきたな。トランスジェンダーが題材のものとして。同じところに金八先生第六シーズンも書いてあって、「ハセケン!!」って思ったよ。トランスジェンダーはハセケンじゃなくて直だけど。
パンフレットといえば、丸山くんが「これまでに僕が経験してきた人との出会いや別れがなにかの糧になる」って言っててさ。エイトを脱退していったひととのことも、ヘドウィグの台詞をいうときに糧になってるんだろうなと思った。丸山くんは残ったほうだし、エイトと、亮ちゃんすばるくんがヘドウィグとトミーみたいな関係かというと全然違うんだけど。だけど、いまの丸ちゃんが、2022年にこれを演じることは、運命目いていて意味があるように思えた。
2021年買ってよかったもの
今週のお題「買ってよかった2021」
かわいい。手袋どこかにいきがちなので小さいカバンのときはこれで持ち歩いてます。
ちょっと長くてぶらぶらしちゃうけど、お気に入り。赤を買いました。テンションがあがります。
・着る毛布
買ったやつは商品ページがなくなってた。
腰と腹が確実にあったまるので良い。ポケットがついてるか、腕まくりできるか、で選びました。
実際問題浄水されてるのかどうかはよくわからないんですが、冷蔵庫のなかに使える水が入っているという状況はすごく便利でした。ソーダストリームも冷えた水のほうが炭酸がよく混ざるというし。水出しコーヒー出すときもこのポットから注ぐ。
せっかちかつ不器用なのでみじん切りがめちゃくちゃ苦手。これは便利だった。1回でできる量は多くないから、一人暮らしだとこれぐらいでいいけど家族用だと大変なのかな。
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みんな一緒に住んでるのたまらん
細長いトースターを買ったため、今まで使っていた円のグラタン皿が入らなくなり、これを買った。半透明なのがなんかおしゃれで好き。
遮光100%しか勝たんと聞いて。これ差してるともはや涼しいというコメントも見たけど、そこまでではなかった笑 でも確実に遮ってる感覚はあるし、かわいいし、折りたたまなくても一旦長いまま袋に入れて置けるのも便利。傘袋をカバンにつけられるから袋だけなくしたりしない。
口元がマスクとくっつかなくてよい。
あと食事中に外すときに自然に折りたたむ形になるので、接触面が表に出ないのも良かった。自分に合ったサイズはいまだによく分かってない。鼻回りちょっと緩いけど一回り小さくすると全体はきつそう……。
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二月の勝者特別編に灰谷先生出るだろうなと思って、12/1にHuluに入ったんだけど、Huluは別に末日で更新する形ではなかったから最終回のあとに入っても問題なかった。
それはそれとして、日テレのドラマがいつでも簡単に観られるのは想像していた以上に便利だった。ゼロ見てボイスみて二月の勝者みてボイス2見て、というのがディスク入れ替えずにできる。便利。
パーフェクトブルーも見たい。
ボイス2、透ちゃんが死んじゃったのが悲しくて最終回終わったら録画消してしまったんだけど、12月になってまた見返すことができた。まあ何度見ても悲しいものは悲しいが……。
ていうか何より二月の勝者特別編が最高だった。
ブログからHuluの特定の番組へのリンク、うまく貼れない
胸騒ぎの自習室の第四話がまじで灰谷先生可愛いから人類みな見てほしいよ。
年末ぎりぎりに買った。あったかい!!!!(当たり前)
ロフトの部屋でエアコンだから生活地帯が冷え込んでいたんだけど、こういう暖房器具を買えば一発で解決することに気付かなかった。無駄な一年を過ごしてしまった……。
すぐ暖かくなるところも愛している。文明の利器ってすごい。
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今年無料期間があって読み始めて急にハマった。
ゴカムを「理解」した今、もう一度アイヌ料理のお店行きたい……
すごくよい!!指の腹でぐいぐい頭皮を揉んでいたのがこれで刺激できるのですごく楽になった。ほぐれてる感がある。お気に入り。
会社の自宅端末のキーボードの左側あたりが反応しなくなり持ち運び用のワイヤレスキーボードを使っていたんだけど、やっぱりテンキーがあったほうが良いな……と思いこれを買った。トラックボールが好きだからそれがついてるのが嬉しい。いうてそんなに使ってないけどもwこのキーボードの横に置いてあるトラックボールマウス使ってる。トラックボール2個あるの自分でも笑ってしまう。
キーボード打ってる感があって好き。
125 フィールド オブ クローバーを買った。一目ぼれした。
パッケージも色合いも超超かわいい。
すごい便利!!関根りささんが紹介してたので気になってダイソー探したんだけど、全然なかった。三軒目ぐらいでやっと発見した。
最近は元からポンプの食器用洗剤も出たみたいで、ガクッとなったw
洗剤持ち上げるというワンクッションないだけでこんなに楽なんだな~。面白い。
番外
楽天の購入履歴見て、これ買ったままやってないこと思い出しました。誰かやりましょう
山本耕史さんとの話/ SORASHIGEBOOK 10/17
山本耕史さんとの話、書き起こし
ほんとね、なかなか。敵対する役でしょ? 役なんです。
だからまだほんとに撮影始まって一度しかお会いしてないんですけどね。なかなか会わないんですよ。はははは。
一度クランクインの日に、ご一緒のシーンが、それがいきなり最初の殺陣だったんですけど、ほんとに、山本耕史さんはもうほんとにみんなが、殺陣が上手いって言う。お芝居はもちろんですけど、殺陣がうまいから。
逆にまあ、あの、山本耕史さんに甘えるつもりでやってもらって大丈夫ですー、みたいなことを聴いてたんですけど。
僕は殺陣の稽古何回かやらせてもらって、山本耕史さんはもう、見て、見てたみたいです。動画撮ってたんですけど、練習用に。それを山本耕史さんにも見せてたみたいで。
あの、なんかもう、「全然大丈夫だよ」、みたいな感じで、励ましてくれましたね。
基本的にはすごくなんかこう、「初めてなので失礼があるかもしれません~」ってご挨拶したんだけど、「全然大丈夫だよ」って。
すごい、褒めてくれる、優しいな~って思って。
(耕史さんは)「全然大丈夫じゃない!」(※大丈夫、というニュアンス)みたいな。上手だよ~みたいなことを言ってくれて、ああ良かったなあ、みたいな。
まあちょっとねえ、片手の殺陣で。ほんとに、なんていうんですかね。殺陣っていうか、振付みたいなぐらい。ちょっとまあ、なんていうんですかね、そういう殺陣とかの所作とかにうるさいひとから見たら、「あまりにも無茶しすぎ」って思うかもしれないですけど。
ほんとに、その、ぼく演じる氷ノ介っていうのは、まあ、いろんなバックボーンがあるんですけど。
とにかく、もう、型、いわゆる正しい型の真逆をいくっていうようなね。そういう、復讐心からくるんでしょうね。そういうのがね。あるっていう。
とにかく、逆をいく、逆逆にいくっていうキャラクターなので。
正直、僕も最初っからこれをやってしまったら、普通に殺陣するの逆に難しいんじゃないかなって思うんですけど。
まあそういうシーンもね、もちろんあるんですけど。
というわけで、もう、だからもう納刀? 抜刀とか納刀とかも、片手でやらなきゃいけないからぁ、すごい、なんていうんですかね。ほんとに、どういう…もはや、ソロ曲作るときと一緒っていうか。演出。
こうやったら面白いんじゃないかな。楽しいよね。なんか。
時代劇初めてだから、そういうルールとかちゃんとしなきゃ、とかちょっと思ってたけど、「面白かったら良いじゃん」っていうスタンスなんですよね、山本耕史さんはね。
いろんなものをたくさんやってきて、そういうところに山本さんは、着地されてる、いまは。すごいなと思って。
もちろん、伝統を大事にしてるんだけど。てかまあ上手いからね、普通に、型きれいなんですけど。
なんか、「そういうことに縛られてこじんまりするより、派手なことやろうよ」みたいな。「エンターテイメントだよ」、みたいなこと言ってくれて。
殺陣師のかたとかも、山本さんの紹介の殺陣師のかただったんですけど、そういうかたなので、すごく面白く、「じゃあこうはどうですか」って僕からも提案しちゃうぐらい、自由な現場って言うか。
こうしたらいいかも、こうしたらそう見えるかも、とかいうのが、どんどん次々出てきて。
こうやってさ。納刀だよね。片手で納刀が一番難しいんですよ! 抜刀はね、片手でもスパンって、鯉口を切るっていうね、ちょっとカチャッてね。やったりとか、するのを、あの、まあ、片手でやることはできるんだけど。
納刀、が難しいんですよね。両手で普通やるから。山本さんは、以前、片腕の隻腕の剣士をやられたことがあるので。あるんですよ。同じチームらしいんですけど。
ということもあって、「あのときどうしてたんですか~」とかいって、そのときのやりかたとかを教えてもらったり、こんなんもあるよとか、すごい、教えてくれましたね。
「いやでももう全然できるじゃん!」みたいな。
励ましてもらいつつ。ほんと、なんていうんですかね。教えてもらうっていう感じですね。
すごく楽しく、やってますし、なにより、役ちょっとね、ほんと面白いですね。こういう、ザ・ディランみたいな笑
初めてやってるから楽しくてしょうがないですね。
なんか…そうそうそう…
でもやっぱり、そういうのが軽く見えないように、存在感を出すって言うのは、現場でも、考えながらやってますけどね。
結構時間がないので、テンポよくやらなきゃいけないので。
そういう意味でもほんと、事前にいろんなイメージしてかなきゃいけないんですけど、
ほんとに、役…悪い気持ちになる、ね。笑
とても楽しく、やらせてもらってます。
『染、色』2回目観劇感想(ネタバレ有)
2回目観たら割とスッキリした。
前回感想を引用しつつ、整理
セット
深馬が倒れて入院したときのベッドに取っ手ついてることにちょっとツボってしまった。セットの中にしまわれているものを、入院シーンのときだけ引っ張り出してるってことだよね? 反対側から押してもよさそうなものなのに、引いてあのベッド出してるのか……。
キャストの人が椅子運んだり机運んだりしてるところ、「演劇!」って感じで好きだったな。原田くんと北見くんが運んだソファーに深馬くんと杏奈ちゃんが座るところとか。小説でも漫画でも映像化でもできない舞台ならではの演出、たくさんあるところが好きだった。
この演出までは加藤さんじゃなくて瀬戸山さんの手腕だと思うけど、たぶん加藤さんもこれ見てほんとに満足しただろうな~ などと勝手に思ったのでした。
熱中症で倒れた深馬くんが目を覚ますところ。そのシーンから急に深馬くんの左もみあげあたりに大きな肌荒れがあるのが見えた。「時間の経過を肌荒れで表現?!」などと思っていたのですが、よくよく考えたらその前のシーンが激しく感情をぶつけあうところだし走り回るし、汗でファンデーションが落ちたんだろな。それは演出ではないっぽい。笑
まみとみうま
自分自身の才能の限界と向き合いたくなくて病んだのか。
「深馬くんがなぜ真未を作り出したのか」ですが、同じ美大生の原田・北見たちが劇中で「あいつも才能の限界が見えたんだと思う」というようなことを言っていたので、↑の引用のとおり、かなと。
限界が見えていた深馬が真未を作り出したことで良い絵が描けて、ロランス朱里というキュレーターに認められたという展開は皮肉ですが。その結果、深馬はどんどん真未という架空の存在にのめりこんでいく。
真未の存在を肯定していればこの先も絵を描けたのかもしれないが、イマジナリーフレンドがいないと描けないっていうのは、やっぱり才能の限界なのか。そういう種類の天才になるには、深馬はあまりにも冷静すぎたのかもしれない。
深馬と真未が初めて出会ってお互いの名前を名乗るシーン、「マ行ばかりだね」って話してるの、「みうま」「まみ」で対称的な同一人物ですよってことだったのか。マ行っていうのは上唇と下唇くっつけないと発音できないですしね。
深馬と真未が言い争うシーンで真未が「お前は人に依存しないと生きていけない」というようなセリフで深馬を罵っていた。(真未は深馬自身なので)深馬はそれを自覚しつつも最後、杏奈に泣きながら電話してしまうという展開。原作でも同じ展開なんだけど、「女にすがりつく」ことを指摘するセリフが挟まることで、なんか、「気づいてたんだね…」という気持ちになった。気付けてよかったね。
そう、最後に、深馬くんが杏奈に泣きながら電話してるのが、物悲しかったな。正門くんが本当に声詰まらせてて、観てるこっちもつらくなった。最後両手で鼻と口元抑えながら頭下げてはけていったけど、結構感極まっていた。
感極まるといえば、深馬にスプレーを隠されて泣きじゃくる真未も、あの大きな瞳で本当に泣いているのがはっきりと見えて、びっくりした。感情と感情がぶつかりあってる。
物語の主人公、主人公の物語
杏奈ちゃんのこと、
深馬が勝手に「自分にとって都合がいいように妄想している」から、私にもあれだけ「都合がいい女」に観えた
と思っていたんだけど、ここはちょっと勘違いしていた。
初見の際に「真未は深馬の脳内人物」という改変が衝撃的すぎて、物語全体を架空と捉えていたけど、2回目観たら、あれ、これ結構事実の部分も多いのか、という気付きを得た。
深馬が杏奈について記憶を書き換えてるところなんて1個もないかもしれない。
深馬の気が触れたのは、冒頭、キャンバスが腕に当たってから。
みんなでお酒飲みながらわいわいやってるとき、深馬が杏奈ちゃんを膝の上で乗っけてイチャイチャするところがある。そのあと、大きな声に驚いて? だったかな? キャンバスが倒れて当たり、深馬に当たる。深馬は前腕を確かめるように触る。ちょうど、いつも真未がスプレーを振りかける前腕のあたり。深馬はそれから、狂ったように笑い始める。
で、深馬の脳内ストーリーだったのは
・真未の存在、真未に関わること
→これは存在自体が妄想。実際は深馬がやっていたし、深馬が考えていたこと
・ポリダクトリーは自分と真未の2人が通り魔的にやったこと
→本当は、キュレーターのロランス朱里によるプロジェクトで、深馬も実際に参加していた(ということが、3月卒業式の飲み屋での話で分かる)。
どの絵がプロジェクトだったんだろ? 恐竜は勝手に描いたものかなという気もするけど。ヤギと蛇以降がプロジェクトのもの? ここはどうとでも取れるかな?
あの大きな目は、なんだったんだろう。物語の転回点?
・滝川が、深馬の手柄を横取りしようとしていた、また、橋梁に勝手に絵を描いた器物損壊罪で大学を追われた
→実際は、絵の勉強をし直すためにフランスに渡った。深馬が倒れている間のことだったので都合よく記憶改ざんした?
ぐらいで、あとは事実だったのかも。
杏奈ちゃんが面接で尊敬する人物に深馬くんの名前を上げたことも、北見くんに深馬くんのこと相談するシーンとか。
↑ここも全部本当の話、でもおかしくない。
杏奈ちゃんに「尊敬する人物で深馬くんのこと話したよ」に言われたときの深馬、すっっごく嫌そうな顔してた。なにがそんなに嫌だった?
「謙虚」って言われたこと? はたまた、自分が伸び悩んでいく横で踏み台にされて跳躍していったことが苦々しかった? 「いまそんなことを話してる場合じゃない」って思った?
そうそう、この面接の下りが事実のように思えた理由がもう1個あって。
杏奈は劇中で「変わった」と思うんですよね。北見くんと杏奈の会話で杏奈が「私も変わりたい…!」ということを言うので。変わった結果があの面接の堂々とした受け答えだとすると、面接も事実かな、と。
しかし杏奈はなにをきっかけに、どう、変わったんですかね。 深馬を客観的に見るように、受容するようになった?
杏奈といえば「シングルマザー育ちで高校のころからバイトをたくさんしてた」という設定を付加された意図も気になる。
最初に観た時は、最後に居酒屋で北見・原田の口から語られる「事実」としての「ポリダクトリー」のところがよく聞き取れなかったから全体像がぼやっとしてたんだけど。
橋梁に深馬が絵を描いたことは事実、そして他の誰かも橋梁に絵を描いたことが事実だとわかったので。杏奈が深馬にポリダクトリー描いた人の動画をインスタで見せたのも、事実である可能性があり。
そうすると、割とこの物語、深馬の妄想の部分って最初に思ったより少ないことに気付いた。
「染、色」という物語全体を「精神を病んだ大学生の物語」として捉えていた。
けれど、事実ともとれる部分を事実とするなら、これは
「精神を病んだ大学生と、その周りにいる人々、友達、恋人、先生という人々それぞれの物語」
だったな。
そういえば加藤さんもパンフレットで「群像劇」と言っていたのでした。
杏奈も原田も北見もそれぞれ悩み多き大学生であり、それぞれがそれぞれの進路に進んでいく。深馬を置いて。
未来の自分
原田くんが滝川先生を好きだったという、「同性愛者」であったという最後に挟まれるエピソード(そしてとくにゲイやバイという改めての言語化はない)、それをもとに最初から振り返って考えてみると、新たな発見ありそう。
冒頭で原田が「女の子は寂しいときに寂しいって言えない」というような…ちがうかも…なにか女子の心情を語るシーンがあったんだけど、それ伏線だったかな~。と思いつつ、『ゲイ=女性の考えも分かる』はステレオタイプというか、演出としてどうかな、とも思ったので微妙なところ。
原田くんは滝川先生を好きだったけれどそれは誰にも言ってなかった。
深馬は原田くんからそれを教えられたというストーリーを頭の中で作っていたけれど、実際にはただ、観察して、気づいただけだった(そして実際に好きだった)。
深馬くんは自分のことはあまりさらけ出さないけれど、注意深く周りを見ている。原田の恋心に気づいたのもそうだし、北見に「杏奈ちゃんのことちゃんと考えろよ!」って怒鳴られたときも、「いつ杏奈としゃべったんだ?」というところにすぐ思い至るし。
自分の才能の限界も冷静に気づいてたのかな。大学入って北見くんに出会ったあと「遊びの場に連れて行ってほしい」って頼んだのは、煮詰まりかけていた深馬くんの打開策の1つだった?
深馬くん、滝川先生にも相談してたときもとても具体的だった。
「感情で描いていたけれどそれが枯れてしまった」「でもそれに焦りがないことに焦っている」というような。
自分も周りもよく観察してる。だからこそ、矛盾しないストーリーを生み出すことが出来てしまった。
「滝川先生はクラスで孤立していた原田に、北見・深馬(それぞれ首席)と仲良くなれば人の見る目が変わる、とアドバイスした」
ということを、深馬くんの脳内ストーリーの中で原田くんが語る。これ自体は事実かどうか言及されないけれど、これもまた、事実でもおかしくないエピソード。
深馬くんと滝川先生はよく似た人物として描かれているから、深馬くんが考えたこと、滝川先生も考えていてもおかしくない。
冒頭、杏奈ちゃんとあっという間に話が盛り上がる滝川先生を見て、深馬・北見・原田が「滝川は人たらしだ」という話をしていた。人たらし、そしてあっという間に仲良くなるところ、深馬と重なる。深馬も、大学の文化祭で北見が声をかけた杏奈を最終的に惹きつけていた。深馬、「ひどい男」なんだけど、みんななんだかんだ深馬のこと好きだよね。パンフレットでも言っていたけど。
人たらしの滝川と深馬。美大講師と予備校講師(アルバイト)。
美大予備校講師に就職するかもと話していた深馬くん。自分の将来が滝川先生のようになることどこかで考えていただろうか。
深馬と真未の間でも滝川先生のこと話題に上ってたね。
「どんなやつ?」「いいやつ?」「いいやつも脱税するんだよ」
深馬くんのなかに滝川先生に対する懐疑心とか見下す気持ちがあったから、深馬くんのなかでの滝川先生が「自分の手柄を横取りしていった」という位置づけになったように感じた。北見・杏奈に対する「妄想」はほとんどない(とも考えられる)けど、滝川に関する事実改変は絶対にしていて、それも、本人の信条をすべてひっくり返すぐらいの事実誤認。原田と滝川が脳内でセットになってるから原田に関しても深馬は少し事実誤認しているけれど、対滝川の改変のほうが断然大きい。
そしていなくなった滝川先生と同じく、深馬くんも「美大予備校講師」という学生に教える立場になろうとしている。北見くんが出版社(たしか)、原田くんがデザイン会社に就職したのとはまた別の道。3人のなかで1番滝川先生に近い。
「滝川先生は気を病んで自分の絵を横取りした」、そしていなくなった滝川先生の、あとを追うような道に進もうとしている、まさにそのとき。
事実はそうでなくて、滝川先生は夢を追うためにフランスに渡ったのだと聞いた深馬くん。
滝川は自分に嫉妬していたのでもなく、自分の作品の手柄として大学を辞めていったのではなく、ただ、自分にはまったく関係のないところで生きている。しかも自分が、その時点ではほぼ諦めかけている絵の世界で生きようとしている。
そそて、二重三重にショックを受ける深馬くん。
大人になる通過儀礼として、師を殺した深馬くん。でもそれはただ脳内で行われただけで、実際は死んでなかったし、なんなら自分より全然遠くへ飛んでいく。
すべてが自分の妄想で良いように作り上げたストーリーで、見下していた周りの人(滝川先生、杏奈、北見くん)は自分をまきこみつつどんどん飛躍していく。
それに気づいたときの深馬くんのこと考えたら、なんか、ぐうう、、、ってなっちゃうな。本人が悪いんだけどさ、、、
人を見下さないと自分を保てないし、でも人に依存しないと生きていけないんだよ、深馬くんは。
全体的に「加藤シゲアキ」っぽいな~って感じの物語だけど、その中でもこの、滝川先生に関するあたりもすごく「加藤シゲアキ」だな~っていうか。なんていうか。
↓タイプライターズでこの本おすすめしてた加藤さんだから、舞台でも「通過儀礼」書いたんだなと思った。
で、それが一筋縄でない通過儀礼といいますか。ひねりのある。かわいげのない、素直じゃない。2回死ぬという。
ラストシーン
自慰シーンの深馬くん、うつぶせのまま延々と腰を振っているのに全然達せてなくて、なかば冗長さを感じるぐらいに長いシーンで、ああ、深馬のあの精神状態これからもずっと続いていくんじゃ……という恐怖があった。長かったね……。
『染、色』感想(ネタバレ有) - ロマンはどこだ?
これについては、 2回目観たらそんなに長くなかったです。 1回目なにを観ていた?w
夢見た芸術の世界から、これまでの脳内ストーリーからの決別という通過儀礼のシーンとして最後になにがしかの出来事は描かれたと思うけれど、もし原作が自慰シーンでなければ、舞台でも自慰シーンじゃなかったかもな~ どうかな? どうですかね。
グリーンマイルでも尿管結石の役だったから股間抑えるシーンあったしな。自慰シーンにしてたかな。わからん。
え、オマージュ? いやいや……
最後に出てくる真未は桜舞う中に立っていた。深馬くんは真未がいないと咲けないだろうか。
最後のシーン、
深馬が杏奈に電話する → 白い衣装を来た真未が桜舞う中で立っている
と続くので、真未との決別なんだな、と思いました。加藤さんがパンフで原作と舞台との違いを「最初と最後が終わりで真ん中は居抜き」と言っていた意味が理解できた。どちらにしろこの物語は、男子大学生が自分と違う女性と出会い、別れ、芸術の世界から去っていく物語だったんだな。
3月、卒業シーズンの春に咲いた桜のしたにいる真未。
真未がいたから、「秋に咲いた」深馬は咲けた。でもあそこで、最後、杏奈に電話をした深馬は真未ともう会わないんだと思った。深馬は「美大予備校の講師」になって生きていくんだろう。
桜・大人になる、といえば「ひとひら/ポルノグラフィティ」なのでぜひ聴いてください。
大人になった深馬くんも予備校でこれを聞いているかもしれない。
「あれは友達を傷つけそして 自分さえも傷つけた言葉」
でも、あの世界での「大人になった深馬」として描かれていた滝川先生がフランスに絵の勉強をしに行ったのだから、深馬くんも、いつかもう1回絵の世界に行くかもしれませんね。
『染、色』感想(ネタバレ有)
「加藤シゲアキ原作・脚本」。すごっ。
前々から「原作者だからできるアプローチ」というような話はよくしていたけれど、ほんとう、そのとおりで。この脚本を原作者以外のかたが作ったら「なんでそう変えた?」って思っていたかもしれない。
加藤シゲアキという「染色」の創造主、神様だからこそできる遊び。
主人公の名前が変わり、友人2人と講師が登場。共に橋梁にグラフィックを描く「美優」が「真未」になり。そして真未は深馬の作り出した幻覚だった。
感想つらつらと書きますが、取りこぼしてる部分もあるかもなので変なこと言ってたらすみません。また考えます。
ちなみに、わたしは、救いのない話だなと思いました。
読点
NEWSの2018年のコンサート「EPCOTIA」を因数分解・再構築したものが2018-19のドームコンサート「EPCOTIA ENCORE」になったように、ドラマ「傘をもたない蟻たちは」が『それぞれの物語をいわば“因数分解”した上で再構築*1されたように、染色のさまざまなシーン・エピソードを因数分解して再構築して新たにつなげ直して違うストーリーにしたのが舞台「染、色」。
最後にひっくり返るっていうのは、『傘をもたない蟻たちは』の収録作品「インターセプト」にも似てる。インターセプトはたしかに映像化が生える。舞台にするなら染色っていうのはわかる。ドラマでも染色入ってなかったしね。
『染色』も『染、色』も両方好きだな。『染色』の人間関係を深掘りして再解釈した結果だとパンフで話してましたけど、そこからの挑戦で因数分解して再構築しようと思ったってことですよね……不思議だな……。
加藤さんが好きな舞台、書きたい話に『染色』を寄せていったのが『染、色』なのかな。なんかもう素材だもんね。テーマも意味合いも元からひっくり返ってる。
これだけ違えば、そりゃあ、点つけますわ。「染色」をバラして再度くっつけた、なので「染色」の文字と文字の間に点。「染色。」ではなくて「染、色」。でも、舞台上に出てくる「染、色」という文字を書く映像では「染 色」と書いたあとに点を打ってるんですよね。書き順にも意味があるのかな。加藤さんがそう書いたんだっけ? 「染、色」ってタイトル書いてる映像の入ってたの、NEWSな2人でしたよね。その録画たぶん消しちゃったんですよね…………。
読点といえば、加藤シゲアキさんのソロ「星の王子さま」。『ひとつだけ、を探して』。
『染、色』のなかで登場人物が「秋に咲く桜」の話をする場面があり、主人公の深馬くん(正門くん)が「それは次の春も咲くのか」と友人の北見くんに尋ねる。
秋に咲く桜の話も「星の王子さま」に出てきますね。
「秋に咲いた不時の桜は 次の春も咲けるのだろうか」
深馬くんも「ひとつだけ、を探して」いたかな。見つかるんだろうか。
最後に出てくる真未は桜舞う中に立っていた。深馬くんは真未がいないと咲けないだろうか。
真未の存在で深馬の作品は良くなったし、芸術家としての大成を考えれば真未が居たほうがいいのかもしれない。
それでやってくにはだいぶ周りの協力もありますが…てか杏奈ちゃんも北見くんも原田くんも優しくていいやつだな、ほんとに。知ってて深馬くんのそばにいるんだもんね。
最後卒業式の日の飲み会(深馬くんは留年)で、北見くんと原田くんが「まだだめか…」って言ったの、ストーリーとしてはそこでゾッとしたけど、あとあと考えたら2人はほんとに優しいな…と思った。
不時現象が起きてしまっても、その木の桜は来春に楽しむことができます。1本の木の一部で早咲きしてしまった桜は春には咲きませんが、まだ、全ての花芽が目覚めるような本当の冬が来ていないので、その木のほかの花芽は休眠ホルモンが少ないながら冬を越して、春には花を咲かせてくれますよ。
ピンクとグレー
それにしても、「染、色」、怖かったな。
観終わったとき小説『ピンクとグレー』が頭をよぎった。ピングレっぽい。ストーリーの残酷さもそうだけど、「その立場でその世界を描いてそのストーリーにする」衝撃度の大きさが、ピングレに近い。
初めてピングレを読んだときに「芸能界にいるひとが芸能界の闇に飲み込まれて死ぬ話を書く」ということに衝撃を受けてシゲのことをめちゃくちゃ考えてしまった。同じように、今回も「才能がある人が狂っていくさま」を、なにがしかの才能や魅力がなければ長い事働いていられない芸能界にいる人が書いた。衝撃受けちゃったな。しかも原作はそうじゃなかったのに。「小説」を、「舞台」という、自分がもともといた世界に近づける作業をしたときに、より残酷なストーリーになったことに驚いた。「染色」で本当はそういうことがしたかった、というわけでもなさそうだし。
ROTで「アイドルやってるなんて狂ってるよ」みたいなこと言ってた加藤さんが、これ書いたの、わかるな……という気持ちになった。
深馬くんってこの先どうなるんだろう。ピングレは、りばちゃん、生きたにしろ死んだにしろある程度「終わり」があった。深馬くんはどういう風に生きていくのかな。
ストレンジ・フルーツ
美術・学生といえば加藤さん初ストレートプレイ「SEMINAR」 を思い出すところなんでしょうが、1回しか観てないのであまり詳しいことが思い出せず……。
私は増田さん主演舞台「ストレンジフルーツ」を思い出してました。
『染、色』のなかで「作品を完成させるということは作品の死」というようなセリフがあった。
舞台「ストレンジフルーツ」の表題『ストレンジフルーツ』は「死体の胸を開いて心臓を見せる」という芸術作品のこと。舞台の中でまっすー演じる千葉くんが、南沢奈央さん演じるカナちゃんの自殺した体を切り開いてその作品を作る。
その作品を作るということはカナが死ぬということ。
作品と死が密接に結びついてる。
ストフルのなかで「作品を発表するってことは自分の心を暴かれるってことなんだよ」という千葉くんの台詞があった。
深馬くんは、だんだん、それが怖くなったのかな。
それとも。
深馬と真未の会話で「自由」という単語が出てきて、深馬は真未に「自由だな」といい、だんだん真未の世界に染まっていく。ということは深馬くんは自由になりたかったのか?
それとも、「描きたい絵を描く」ために精神を狂わせていったのか。
自分自身の才能の限界と向き合いたくなくて病んだのか。
わたしは最初「才能の限界」かな〜と思った、「滝川先生が自分に嫉妬してる」という虚勢をはるような物語を勝手に作り上げていたから。自分と同じぐらいその才納を見出されていた北見くんの造形作品もけなすしね。(真未がけなすけど、それってつまり……)
作品を完成させることは、自分の心を、才能を、そして才能の限界を人の前にさらけ出してしまうこと。
深馬くんは技術はあって基本的に才能はあるわけだから、「描いている途中」のものははたから見てもすごいなと思わせる力があるんだろう。「どんな作品ができるんだろう」と、友人や先生をわくわくさせるだけの魅力がきっとあるんだろう。「まだまだ成長し続けている!!」と思っているものが、「作品の完成」をもってそこで止まることになる。だから完成させられずにキャンバスを破いてしまう。真未という存在を得て、やっと作品を完成させられたし、自由でいられた。
でも、いろんな要素があって複合的に要因になったのかな。自由になりたくて、でも認められたくて、才能の限界を感じて。
真未を心の中に作り出した深馬は良い絵を書いてキュレーターに見つけられた。
真未という存在と深馬はどうやって向かい合っていくんだろうか。もう一切捨てて、杏奈ちゃんと生きていくんだろか。杏奈に電話してたもんなあ。してたよね? してたっけ?
見えている世界
杏奈ちゃんについては、原作より登場シーンが多くなったことでより「都合のいい女」感が強まったように思えた。原作では主人公の「市村」を挟んで「美優」と対比するように出てくる「杏奈」、登場シーンもそれほど多くないし、立ち位置としてはまあこういうものかな……ぐらいに思っていましたが、舞台になったらそれがさらに「すっごい都合いい女だな」って感じたんですよね。
でもあとあと考えてみれば、深馬が勝手に「自分にとって都合がいいように妄想している」から、私にもあれだけ「都合がいい女」に観えたんでしょうね。私がその「都合いい女」と思ったシーン、台詞、感情のどこからどこまでが深馬の想像・妄想で、どこからが真実なのかな。
真未に関する部分はもちろん深馬くんの妄想だけど、ほかのところはどうだろう? 深馬くんと真未(原作でいえば美優)がセックスしてるのと並行して舞台の上では杏奈ちゃんが面接を受けているところとか。杏奈ちゃんが面接で尊敬する人物に深馬くんの名前を上げたことも、北見くんに深馬くんのこと相談するシーンとか。
最近は面接で「最近読んだ本」「尊敬する人物」って聞いてはいけない、とされることも多いようです。それは本人の思想に関わる部分なので。シゲがそのことを知ってたらあの「尊敬する人物」の質問は別のエピソードにしたのかな? いやいやもしかして、最近はそういう質問がされないと知っていてのあえての質問で、「これは深馬の幻覚、妄想ですよ」って表現なのか…? しかし、深馬はそもそも尊敬されたかったのか? 「尊敬する人物は、思想」。
尊敬する人物のところ、あの世界で「事実」なのかな〜。
真未が深馬の作り上げた想像上の人物(二重人格?)ということは原田の記録していた映像でわかるんだけど、そのあとに種明かしとして舞台前半での「真未と深馬のシーン」を「深馬単独のシーン」としてリプレイする。ここすごくわかりやすくしてるなと思った! リプレイするシーン2つある。
性描写の話
小説「染色」といえば性的描写に挑戦という要素もあった。私は「染色」で最後に自慰をしたところがいまいち飲み込めていないけど。なんとなく、あの自慰シーンは「虚しさ」と「卒業」「決別」みたいな意図を読んでました。
原田くんが滝川先生を好きだったという、「同性愛者」であったという最後に挟まれるエピソード(そしてとくにゲイやバイという改めての言語化はない)、それをもとに最初から振り返って考えてみると、新たな発見ありそう。